☆この曲はの一ノ瀬さんの『Silent Interval 2』という曲です。 |
大徳寺・孤蓬庵!昨年の秋、所長がある建築雑誌を持ってきて、「良いでしょう」という。開いたページの中には、上半分の障子が下げられ、下部のみ開口した庭の写真があった。静寂の中に何かを語りかけてくるような、とても素敵な写真。それは大徳寺・孤蓬庵にある茶室からの風景だった。TVのCMさながらに、「そうだ京都に行こう」と心がはやり、12月の初旬に京都を訪ねた。その日の京都はものすごく寒くて、まずはデパートに飛び込んでマフラーを買った。そして地下鉄・バスと乗り継いでなんとか辿り着いた大徳寺は、洛北屈指の大寺院というだけあって広い、広い。なかなか孤蓬庵が見つからない。持参したガイドブックに孤蓬庵の文字は見あたらなかったが、現地に行けばなんとかなるだろうと思っていた。だけど現地で探し廻ってもちっとも見つからない。寒さも一段と厳しさを増し、みぞれまで降りだした。結局、大仙院と高桐院を見学し、大徳寺を後にしたのだ。(悔しい〜)その後なにげなく旅行会社のパンフレットを眺めていた所長が、孤蓬庵特別拝観の文字を見つけ叫んだ。それによると孤蓬庵は大徳寺の境内からひとつ道を挟んだ、しかも高校の西側にあった。これでは分からないはずだ。念願叶って今年の秋、大徳寺・孤蓬庵を訪ねることが出来た。孤蓬庵は古田織部の茶道精神を継承した小堀遠州が、1612年に自らの菩提寺として建立した。徳川幕府の作事(さくじ)奉行でもあった彼の晩年の仕事で、もっとも円熟した作風と評されている。最初に通された本堂南側の方丈の庭は、船岡山(現在は周囲が建て込んでいるので見られない)を船に見たて、全体に敷かれた赤土を庭の水に、四角に刈り込まれた段違いの二重生垣を水平線と打ち寄せる波にたとえている。当時の風景を思いながら移動していくと、誰かが「ここだよ、ここ」と言う。何が「ここ」なんだと頭を傾けながらその場所に座ると・・・。そこはお目当ての茶室、『忘筌』だった。特別拝観に来るような人達はやっぱり違う。だけど私が想像していた茶室とは異なり、床の間付き12畳の書院座敷だった。彼はつねづね草庵の形で確立された利休の茶室を、書院の形で試みたいと考えていたようで、この孤篷庵の『忘筌』においてそれを成し遂げたという。(ちなみに『忘筌』という名は悟りの境地をあらわす。)切り取られた景色の中に手水鉢や飛石、灯籠などを配した『忘筌』からの眺めは、どんな豪華な庭と比べても決してひけをとらない奥深さだった。 月刊誌「カーサ ブルータス」のなかで、ボッテガ・ヴェネタのクリエイティブディレクターであるトーマス・マイヤー氏が、孤蓬庵の素晴らしさに感嘆の声を上げている。「庭石の配置 それに対する砂利の敷き方、樹木との調和、室内に目を向ければ、畳に縁のラインと障子や襖のラインの絶妙な収まり具合。それがすべて完璧なのです。(中略)実にシンプルなディテールが存在するだけなのに、全体としてリッチでエレガントな空間に見える。」また、「建築に限らずあらゆる芸術に共通することですが、職人の技というのは、これ見よがしに作品の中に目立ってはいけないと思うのです。孤蓬庵の建築はディテールに非常に高度な職人技が込められているはずですが、それが一見して分かるものではない。(中略)クラフトというのは努力の跡や何かを為そうという意識が見えてはいけない。それでいて完結された美の中に人の手の温かみをそこはかとなく感じさせ、心地よくさせるものでありたい。」と、孤蓬庵は彼が求めているもの、到達するゴールであると語っている。彼も孤蓬庵で悟りの境地に誘(いざな)われたのだろうか。 ボッテガ・ヴェネタについてご存じない方のためにちょっと説明すると、ボッテガ・ヴェネタはイタリア・ヴェネト地方の熟練した革職人の伝統に深く根ざしている高級皮製品ブランド。製作は手作業で、籠網に着想を得たなめし革の革紐を用いた編みこみバッグが有名である。クリエイティブ・ディレクターにトーマス・マイヤー氏が就任してからは、一気に知名度が上がったそうだ。建築と皮製品、分野こそ違えど、“もの造り”に対する姿勢には、共通するものがあるんだなぁ。それにしても日本文化の良さを理解する感性って、日本人のDNA故なのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。装飾を排した簡素な建築美はモダニズム建築の造形美にも通じるとして桂離宮を絶賛したブルーノ・タウトもドイツ人の建築家だった。優れたデザインは古今東西を問わないのだろう。桂離宮といえば、参観希望の葉書を何回も送っているんだけど、いつも抽選にもれてしまう。いつになったら見学できるのだろう。 |
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