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静岡県浜松市の設計事務所 村松篤設計事務所

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〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

 
☆この曲はの一ノ瀬さんの『Silent Interval 2』という曲です。 
 

  手の物語!

 仕事の関係でお世話になっているSさんが住宅模型を見て、「模型なんか造ってくれるんですか?」って吃驚(びっくり)していた。自宅に来る度に、「ひも付き(建築条件付)の土地を買っちゃったんで、言われるままに建ててしまったんですよね。」と言っている。家造りに後悔しているのだろうか。もっとよく考えればよかったというのはOさん。南側に広く開口部を設けたモダンな家に住んでいるが、どうもあまり満足していない御様子。完成した時の満足感が生活を始めてから、しだいに萎えていったようだ。「引っ越ししたのが冬だったから良かったんだけど、夏になったら暑くて堪らないのよ。だからカーテンを閉めてエアコンをつけているんだよ。ほらっ、“家は夏をむねに・・・。”っていうのがあったじゃん。分かってはいたんだけどねぇ。」と苦笑い。確かに吉田兼好は徒然草の中で、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ、わろき住居は堪へがたき事なり。【住まいは、夏のことを考えて造るのがよい。冬ならばどんなところでも住もうと思えば住めるからである。暑い時に、造りの悪い家は我慢ならない】」と住居について述べている。高温多湿の日本の夏、しかも地球は温暖化でますます熱くなっているから、兼好法師のおっしゃる事は現代でも十分通用する。奏庵(自宅)だって軒を深く出して“夏をむねに”しているもの。

 ここに『手の物語』というパンフレットがある。これは小池一三さんが作ったもの。小池さんの名前は結構有名なんだけど、知らない人のために簡単に説明すると、OMソーラー協会を立ち上げた人だ。 (本当に簡単な説明になってしまったが・・・。)OMソーラーとは、屋根に降り注ぐ太陽の熱で空気を温め、床から室内を暖めたり、お湯を採ったり、換気したりするシステム。(詳しいことを知りたい方は、OMソーラー協会のHPをご覧ください。)奏庵もこのシステムを取り入れ、寒い冬にも陽だまりのような、仄々(ほのぼの)とした暖かさを享受している。小池さんは、このシステムを全国の工務店との間のネットワークを通して普及してきた。だけど単にシステムだけを販売してきた訳ではない。このシステムを住宅に組み込むことで可能になった住環境をより良いものとするために、住宅の要(かなめ)である設計力の向上も図ろうとした。

 OMソーラーシステムを組み込むことで、「より設計が自由になった。」と所長は言う。たとえば広い吹き抜け空間、間仕切りのない暮らし等、広々とした居住空間の構築が可能になったのだ。しかしこのシステムに共感した工務店が、協会や外部の建築家に依頼してこのシステムを導入したモデルハウスを建てても、自社の設計スタッフではその住宅を見学して依頼してきてくれるお客さんに対し、適切に対応することが出来なかった。当時の地方工務店の設計水準はお世辞にも高いとは言えなかったのだ。まあそういう設計をした経験がないということもあったし、設計というものに対する考え方も画一的だった。そこでOM技術の開発や設計力の向上のために設立したOM研究所の建築家の人達とのネットワークにより、設計スクールを開催したり、OM地域建築賞を設けて地方工務店の設計水準の向上を図ってきた。

 昨年一線を退き、小池創作所を設立。今までの経験を生かし、地方の工務店の後方支援に乗り出した。そして出来上がったのが、ばんだい東洋建設のパンフレットだ。パンフレットといっても小雑誌ぐらいのボリュームがあって内容も充実しているので、これから家造りを考えている人にはお奨めしたい。住宅雑誌を1冊購入して読んだぐらいの読み応えがあり、とても参考になる冊子だと思う。先日家造りの相談に来たAご夫妻にも貸してあげたところ、「急いで建てたい。」と言っていたのに、「やっぱり、じっくり考えて建てようと思います。」と180℃考え方が変わってしまった。土地が決まるまではの〜んびり構えていた建て主も、いざ土地が決まると急に焦り始める。“早く建てたい”“早く住みたい”と気ばかり焦るようだ。でもねぇ、急いで建てたって満足できなければ意味がない。大方の人にとって家って一生もの。家造りに失敗しないためにも、じっくり納得のいくものにしたほうがいいと思う。

  理想と現実!

 S湖沿いの道を車で走っていると、前方に桜の樹木が見えてきた。毎年4月になると満開の花びらをつけて私達に春の訪れを告げてくれるが、今は青々と豊かな葉をたたえて佇んでいた。信号待ちで何気なく横を向くと、“建築士と建てる家”という看板が立っていた。最近では設計事務所の敷居が少しは低くなっているからか、はたまた景気が良くなってきたからなのか、それともこだわる人が増えて居るからか、以前よりも問合せが多くなってきているように思う。今年に入ってから奏庵見学を希望する人も増えている。先日も遠方からの来客があった。U市に住むHさんご夫婦だ。以前所長の設計した家がTVで紹介された時に、奥さんから『いつか必ず、村松さんに家を設計していただきたく思っています。』というメールをいただいた。それから数年たった今年になって、『大変ご無沙汰しております。以前連絡をいたしました、U市のHです。昨年、念願の土地を購入しました。(中略)、ぜひ村松先生に設計のご相談と奏庵の見学のお願いに伺いたく、ご連絡致した次第です。』というメールが届いた。何年にもわたり所長の設計を見守り続けてくれていたのかと思うとなんか感動してしまう。

 設計事務所の門をたたく時って、「設計事務所って高いんじゃあないだろうか。」、「設計事務所もたくさんあるからどこに頼んでいいか分からない。」、「どこの設計事務所に頼めば自分たちの理想とする家を叶えてくれるだろう。」、「設計士の設計理念が強くて、自分たちの希望するような家が建てられないのではないかな。」等々不安要素が多々あることだろう。それと同様に設計事務所側にも不安がある。「建て主がどれくらいの要望を持っていて、果たしてそれが予定している予算に対してどのくらいのものだろう。」大概の場合、予算に対して要望が上回っている。建て主はプロではないから、自分達が抱いている要望に対してどれぐらいの費用が掛かるかなんてことは分からない。打ち合わせを重ねていくうちに徐々に理解していってもらえばいいんだけど、ずいぶん前に設計を依頼したいと希望する建て主とお会いした後、所長がポツリと言ったことがある。「断ったほうがいいかなあ。」熱く語る建て主の想いはとてもよく分かる。だけど提示された予算の倍以上の費用を軽〜く超えてしまう要望はあまりにも無謀すぎた。

 このコラムでも何度も述べさせてもらっているけど、所長は住まいに対する建て主の夢を何とか叶えたいと思っている。そのためどちらかというと要望重視で設計を進めてきた。確かに要望重視のプランは魅力的で、基本プランのプレゼン時に、建て主の顔が歓喜の表情に変化していくのがよく分かる。だけどその後費用の説明に移っていくと、次第に雲行きが怪しくなり、“どうしてこんなに高くなってしまったんですか”という言葉に象徴されるように、今までの打ち合わせの経緯は瞬時に忘れ去られてしまうようだ。基本プランの打ち合わせにおいて、「費用は大丈夫ですか。」と、所長は何度も確認しているはずなんだけど・・・。少々冷静さを取り戻した頃、仕切りなおしで予算に見合うようにプランの修正が行われる。だけど“私達が望んでいたのはこの家なのよ”と満足している建て主からひとつひとつ要望を削っていくのは難しい。ちょっと気の毒かなって思う。本音を言ったら削りたくないんだろう。家というものは建坪が増えれば増えるほど、それに比例して費用も増加する。そこで最近では予算重視というか、予算に見合った建坪を説明して、そんな制約の中でいかにプランを充実させていくかという方向で設計を進めることもある。若い建て主も増えているので、その進め方のほうがスムーズにいくようだ。

 しかし2世帯住宅になると話は変わってくる。住宅に対する価値観がもう揺るぎのないところまで固まっているので、なかなか手ごわい。皆さん大きな家が好きみたい。「広くて立派な玄関がいいですねぇ」、「部屋はすべて南側に配置して欲しい。」、「和室は通し間(続き間)が必要、出来ればひとつは10畳にして欲しい。そしてそれとは別にリビングに寝室、物が多いから収納は沢山欲しいです。できれば納戸も広くしたい。10畳ぐらいかな。」「将来車椅子で生活してもいいように廊下も広く、もちろんトイレやお風呂も広くしておいてください。」と次から次へ要望はとどまることがない。これらすべてを叶えていったら、絶対敷地からはみ出してしまう。自宅で冠婚葬祭を行っていた頃の名残もあって、和室の通し間を希望する方は少なくない。私の実家にも通し間があった。だけど一方はお茶の間として、もう一方は祖父母の寝室として普段活用されていた。生活が変化してきている今の時代において、もし和室の通し間が普段使わないとしたら、な〜んか勿体無いような気がする。どうしても住宅の細部にばかり目が向きがちになってしまうけど、家の本質を大まかな視点に立って考えてみていただければなあって思う。
 
 

  家相って?

 明け方からどんよりとはっきりしない空模様だったけど、気がつくといつの間にか小雨が降っていた。この春の長雨は“菜種梅雨というらしいが、その恩恵を受けたのだろう、仕事部屋の窓から眺められる隣の家の樹木が青々と生い茂っていた。な〜んか癒されるなあ。このところ少々忙しい。今年度は町内の役員を仰せつかったので、その引継ぎのための会議や総会が毎週のように続いていた。そして初回の配布物ということでダンボール一杯の書類が届けられた。それらを各班毎に分け終えると電話が鳴った。「私、1丁目に住んでいますHといいます。昨年O台に引っ越してきたんですが、まだ慣れなくて・・・。老人会(敬老会だったかなあ)の通知が来たんですが、どうすればいいでしょう。」と言う。「はぁ〜、老人会ですか。多分それは自治会ではなく、市の方から送ってきていると思いますので、市役所に連絡してみたらどうでしょう。」と言うと、「そうですか。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。」と丁寧な返事が戻ってきた。少し気を良くしていると、幹事のMさんがまた配布物を持ってきた。

 そんな感じで追いまくられているので、一日の経つのが早い早い。なかなか落ち着いて仕事に向き合えない。気ばっかり焦るがコラムが書けない。オープンハウスの準備にも取り掛かれなくて、案内書の送付もぎりぎりになってしまった。それでも先日無事オープンハウスを開催できて、ほっと一息ついている。それにしても皆さん本当に熱心だ。必ず駆けつけて来てくれる。是非こういった機会を自分達の家造りに活かしてもらいたい。またこういう機会を与えてくれた建て主のFさんご家族には本当に感謝したい。午後になってNさんご家族もやってきた。奥さんのMさんは「10年程前、住宅展示場で村松さんの設計された家を見て以来、いつか自分の家を建てるならこんな家をと夢見ていました。」というメールを送ってきてくれた人。納得のいく家造りを目指し前向きに取り組んでいるが、前途多難で最近ちょっとテンションが下がり気味だ。2世帯住宅にはよくある世代間の価値観の相違に悩まされている。親世帯の方たちは、Mさんのこだわる住み心地や空間、素材感にはあまり興味を持たないようで、家造りにおいて優先するのは第一に家相だからだ。

 私は家相についてあまり詳しくないのでちょっと調べてみた。家相は古代中国で生まれた易学を基にしている。易学とは占いの一種のようなもので、科学の発達していない時代に天候の変化を知ろうと過去の出来事を統計学的に整理したものと陰陽五行説と言う哲学・思想が組み合わさっている。それが昔の日本の厳しい自然環境や風土の中で、建築の指針として発達してきたようだ。一般的に良く知られているのは、鬼門(北東の場所)とか裏鬼門(西南の場所)だが、それらの場所は日当たりが悪く湿気を含んでじめじめと不衛生になりがちだったり、夏場に西日にさらされ厳しい暑さとなるため食物が腐りやすかったりするので、台所、トイレ、浴室等を作る際には注意した方が良いとする。だけど住宅の設備が発達した現代において、必ずしもあてはまらなくなってきている事柄もあるようだ。また日本とは風土、文化の違う中国で始まったということ、家相の見方が何種類もあり、ある見方では凶になるが、ある見方では吉になったりすることや長い年月を経た結果、間違った解釈をされているものや言葉遊び的なものも付け加えられている場合があるということで 『あくまで良い家を作るための指針と考えるのが良いのではないか』と述べられていた。

 だけどN邸においては、なかなか“指針”とはならないようだ。“家の中心から見て決められた範囲内に水まわりが入らなければならない”とか、“家に欠けがあってはならない”等の指摘により、予定よりもどんどん家が大きくなっている。しかも心地よく住むための工夫、例えば風が抜けるための窓や景色を楽しむために窓を設けようとしても、家相上窓が設けられなかったりする。なんか家相の先生の指示を仰ぐ度に、どんどん使い勝手が悪くなって、住み難い家になっていくみたい。Mさん自身も良く分かっていて、「この部屋はあまり使う事がないだろうなあ。」とか、「こんなに子供部屋が広くなくたっていいんだけど・・・。」なんてちょっと嘆いていた。『家相をすべてクリアしようと思えば、あれをこっち、これをあっちへと動かしたあげく、とんでもなく使い勝手の悪い間取りになってしまいますし、設計すらできなくなってしまうこともあります。これでは、家相をうまく取り入れるどころか、家相が住まいづくりの妨げにさえなってしまいますね。』という指摘もある。何とかうまい具合に折り合いが付くと良いんだけど・・・。

  人に優しく!

 こんな賑わっている美術館を見るのは初めてだった。普段の駐車場は既に満杯状態。そのうえ第2駐車場もぎっしりと車が並び、入り込める隙間は無さそうだ。係りの人の案内で市役所の駐車場に向かい、なんとか車を停めることができた。浜松城公園の中にある美術館へと続く坂道には多くの人達が先を急いでいた。私達も小走りに坂を上り、その人波に加わった。その日浜松市美術館では、新「浜松市」誕生記念の催しとして『京都・清水寺展』が開催されていた。印象派の展覧会に行った時もこれほど盛況ではなかったのに、どうしてこんなに人が集まったんだろう。奥の院御本尊開帳記念ということで、243年に1度といわれる秘仏の公開があるからだろうか。しかしそれだけではないようだ。京都という町は日本人にとってなんか特別の町だからなのかもしれない。

 美術館の中はもっと多くの人達が押し合い圧し合いで、まさに芋洗い状態だった。普段あまり見ることのない仏像や美術品に接するのだから、もっとゆったりした気持ちで眺めたかった。こんなことならもっと早くに来ればよかった。最終日までにはずいぶん時間があったのだ。ずるずると先送りしていた己の怠慢さが悔やまれた。それにしても浜松市美術館は優れた作品に接し、その余韻に浸るにはあまりにもドライな建物だ。折角公園の中にあり良い条件は揃っているのに、その利点があまり生かされてないように思う。いろいろと建築家の設計した美術館を見学してきた私にはちょっと物足りない。旧天竜市には秋野不矩美術館があり、お隣の愛知県豊田市には豊田市美術館がある。それらは建物を見学にわざわざ人々が訪れている程、素敵な美術館なんだよね。政令都市を目指している浜松市にもこんな美術館のひとつぐらいあってもいいんじゃあないだろうか。

 豊田市美術館を設計したのは、建築家の谷口吉生さんだ。多くの美術館を手掛け高い評価を得ている。私が見学に行っただけでも、豊田市美術館、丸亀市にある猪熊弦一郎美術館、東京国立博物館法隆寺宝物殿がある。建物自体も魅力的なんだけど、その場の力(周囲にある自然)を考慮していて、そのうえそんな自然の中に人工的な水を配し、自然と水との調和をも図っていた。彼はそれらの実績を認められ、建築家10人によるコンペを経て、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の増改築の設計を任された。一昨年の11月にオープンした際には眼下にニューヨークの夜景を見られることもあり、長蛇の列ができたという。料金が20ドルと高めに設定してあることもあって、どうせ最初だけだろうと思われていた節もあったようだけど、いやいやどうして今でも週末には長い列が続いているという。昨年彼は世界の優れた芸術家に贈られる高松宮殿下記念世界文化賞にも選ばれた。
 
 自然との調和を考える建築家といえば吉村順三さんだ。奈良国立博物館を設計したテーマも、『建物が風景と一体化し、建物ができることでさらに新しい風景を造りだす。』というものだった。当時吉村事務所のスタッフとしてこの建物を担当した建築家の平尾寛さんは、まずは奈良公園の中の建物だということを一貫して考え、そして博物館の人が使い易く、見に来る人が抵抗のないように、つまり『自然な形でずっと歩いてきて、そのまんま陳列室の中に入り、公園の中で美術品を見て、またすっと出て行く』というように、この美術館を利用する側の人達のことを考えたという。そして『どんなに格好が良いものでも当たって痛いとか、怪我をするようなデザインではいかん。どんなとこでも、当って怪我をするような仕上げはいかん。』という吉村さんの考えを忠実に守っている。吉村さんは40年も前からバリアフリーの考え方を実践していたのだ。博物館や美術館等は老若男女様々な人達が訪れる場所だ。なかには障害を持った人もいるだろう。それゆえ人に優しい建物であって欲しい。
  

   豊かな感性!

  昨年、東京藝術大学の構内で『吉村順三建築展』が開催された。大学の門を潜ると直ぐ目の前に、軽井沢山荘の原寸大の断面図がドーンと展示されていた。“力が入っているんだなあ。”と感心していると、同様にその前で立ち尽くしている人達が何人かいた。たぶん建築を志す学生さんなんだろう。食入る様に見つめている姿が微笑ましかった。大学美術館3Fの展示室に入ると、内部の壁には吉村さんの設計した住宅の写真が何枚も大きく引き伸ばされて飾ってあった。軽井沢の別荘の写真ももちろん大きく引き伸ばされていた。見ているだけでその心地良さが伝わってきて、この中に入って今すぐにでも生活したいなあと思った。平日だというのになかなか盛況で、建築関係者や学生はもちろん、主婦層にも人気があるようだ。皆さんとても熱心に見学していた。きっとNHK教育で放映された新日曜美術館の視聴者も何人か居るに違いない。“やっぱり文化度高いなあ。浜松だったらどうだろう?”なんてちょっと思った。

 一般の主婦といっても、熱心な方はいろいろ研究されているので侮れない。先月も紹介した日本現代建築家シリーズF吉村順三(別冊 新建築)という雑誌の中に、Uさんの談話が載っている。「かねてより純和風の住宅を建てたいという希望を持っていろいろ検討しておりました。吉田五十八先生か吉村先生のどちらかにお願いしようと思って、先生方の代表的な作品を実際に見て回りました。(中略)どちらかというと、吉田先生は江戸前の方で、粋で華やかな作品のように、そして吉村先生は渋いお好みのようで、着物でいえば結城とか、今はもうありませんが唐棧といった渋みのある作品のようにお見受けいたしました。いろいろ迷いましたが、結局、渋みの中に合理性がある、つまり伝統の中にも現代性がある吉村先生にお願いした次第です。」このUさんはたぶん普通の主婦の方だと思われるんだけど、その感性の鋭さにとても驚かされた。お二人の建築の違い、そして本質までをも鋭く見抜いているようだ。

 吉田五十八さんは日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努め,数奇屋によって新しい日本建築を創造した戦後日本の代表的建築家。「小林古径邸」をはじめ、「伊東深水邸」、「吉田茂邸」、「岸信介邸」、「吉屋信子邸」、「水谷八重子邸」、「中村勘三郎邸」、「梅原龍三郎アトリエ」等著名な方々の住宅を多く手掛けている。その写真集から受ける内部空間の印象は、とても華やかで上品、そしてとても美しい。だから私はきっと上質な材料を使っていたのだろうと思っていた。だけど、素顔の大建築家たち(建築資料研究社)という本の中で吉田五十八さんの最後の弟子といわれる建築家の今里隆さんは、『先生は建築費の高いものと安いものとの区別をよくわきまえており、材を問わず、良いものになるようにデザインしていました。(中略) 吉田五十八は「バランス感覚の名人」だと最初に申し上げましたとおり、いずれも安い材でもプロポーションのうまさで見事なデザインをみせています。』と述べている。

 吉田さん自身、『設計はプロポーションが大切だ。女性もプロポーションの良い人は見ていて楽しい』と述べている。建築と女性を同列に述べているところが吉田さんらしいのかな。若い頃は設計料が入ると待合や料亭に遊びに行って、所員の給料が払えなくて高利貸しから借りたこともあるということだ。それに対していつも事務所の机に座ってじっと考え込んでいたという吉村さん。その性格の違いはその建築にも現れているが、吉村さんも建築におけるプロポーションの大切さについて、『よいプロポーションでおさまっている家、単純明快におさまっているシンプルな家などはたいへん気持ちのよいものである(新建築)』等、折に触れ述べている。また『センスの悪いものは建築家にならないほうがいい』という吉田さん。『自分が感じたことをいかに建築にするか。建築は人間の感性である。』と述べている吉村さん。一見異なって見えるお二人だが、建築の根底を流れている精神の中にはいくつかの共通するものがあるようでとても興味深い。

  建築家、吉村順三  

 NHK教育の新日曜美術館という番組で、“簡素にして品格あり 建築家・吉村順三の仕事”と題して特集があった。生い茂った緑の木々の先に、まるで森の中に溶けこんでいるような山荘が映し出された。これが建築界の掌中の玉と言われる吉村さんの別荘、軽井沢の山荘だ。私はこの山荘を訪れたことを思い出した。それは今から十数年前に遡る。私達はレンタサイクルを借りて軽井沢めぐりをしていた。その時、「そう言えばこの辺に吉村さんの別荘があるんだよね。」と所長が言った。『あ〜ぁ、また始まった。そういえばじゃあないだろう。充分に下調べをしてきたはずだ。』と思ったが、建築家の別荘という言葉に少し食指を動かされ、所長の自転車の後を追った。しばらく走ると、「これが吉村さんの別荘だよ。」と所長が嬉しそうに振り向いた。そこにはとっても簡素で小さな別荘があった。

 「え〜、これが・・・」。その時の私の正直な感想だったと思う。私の中で勝手にイメージしていた建築家の別荘とはかなりかけ離れていた。所長といえば水を得た魚のようにバシャ、バシャ写真を撮りまくっている。遠くから眺めるだけだったけど、吉村さんの山荘に来れたことが嬉しくて堪らないようだった。だけど当時の私にはこの建物の良さがまったく分からなかったのだ。吉村さんの建築の魅力はなかなか普通の人には分かり難い。その番組の中でも東京大学の藤森教授が、「派手ではないが、その微妙なプロポーション、材料の使い方は詳しい人にとってみると絶妙。」と話していた。私は八ヶ岳音楽堂や京都の俵屋(外観)を見学し、吉村さんの建築のすばらしさを少しは理解できるようになったと思っていたが、この建物の本当の良さにはまだ気がついていなかったようだ。この山荘は打ちっぱなしのコンクリートの上に2階分の住宅を乗せているんだけど、『わざわざそんな面倒くさいことをしなくたって、鳥の視線を楽しむためなら2階リビングのプランだっていいんじゃあないかなあ。』なんて思っていた。だけどこの番組を見てやっぱりこの形がこの土地(軽井沢)には一番自然なんだと感じた。そうすることで伸びやかな軽快感が生じ、森との一体感がより一層深くなる。

 翌日、所長が日本現代建築家シリーズF吉村順三(別冊 新建築)を事務所から持ってきてくれた。この雑誌は所長によっていたるところに線が引かれ、製本はボロボロになっている。パラパラとページをめくる。どの写真を見ても気持ちの良い空間が展開されていた。吉村さんを密かに師と仰いでいるためだろう、吉村さんの空間はどこか所長の空間に似ていると感じた。その空間には無駄がなく、とてもすっきりしている。高価な材料を使っているという感じはしないのに品格が伝わってくる。それはディテールに至まで細かな配慮がされているからだろう。雑誌の中にそれを裏付ける施主の言葉が載っていた。「木を使っていることと、目にうるさいものが全くないこと、たとえばタオル掛けなど古びた竹でできていますし、天井照明はダウンライトとボックス型の照明で埋め込まれているのが自然に溶け込んでいますから、なにもしなくてただ椅子に座っているだけで気が休まり、暖かく包み込んでくれるようです。住んでいて落ち着くしつかっていて便利なんです。何しろ動線がよく考えられていて生活するうえで合理的ですね。」

 「住宅が好きですから、やっぱり住宅が基本だと思います。住宅ができなければ、でかい建築もできないという気がします。」とあくまでも住宅にこだわり続けた建築家、吉村順三さん。「建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活が行われているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。」という言葉を残している。なぜだかその言葉を繰り返して読んでいると涙が込み上げてくる。無骨な武士のような容貌を持つ吉村さんだけど、その眼差しは人に対してどこまでも優しい。

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村松篤設計事務所

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