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村松篤設計事務所は、静岡県の西部、浜松市にあります。

お問い合わせはTEL.053-478-0538

〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

  ☆この曲はのあらっさん『夢だけで』という曲です。 
    

  リフォーム

  先月、埼玉県富士見市に住む認知症の80歳と78歳の姉妹が、複数の訪問リフォーム業者に約5000万円分の工事を繰り返されて財産を失い、自宅を競売にかけられていたというニュースが流れた。そのうちの約3600万円分は不要な工事をされた疑いがあるという。その後最多の約2500万円分の工事を受注した会社が、同市に返金を申し出ているというが、それならばはじめからそんなことしなければ良いではないか。世知辛い世の中だな。判断能力のない人を寄ってたかって食い物にして、まったくもってひどい話。今やTVの番組の影響でリフォームブームといっていい。TVでは住みにくそうな家があっと言う間に素敵な家へと変身を遂げる。自分達の家もそんな風に変わるのかなあって、淡い期待を持ってしまうのは人情ってものだ。誰だって快適に住みたいよ。そんな想いにつけ込んで甘い汁を吸おうとするなんて・・・。良心というものは一体何処にいってしまったんだろう。

 Kさんから、「村松さん、ちょっと家を見に来てくれませんか。」とお電話をいただいたのは、まだこういった事件が騒がれる前だった。訪ねていくと「訪問して来たリフォーム会社の営業に屋根を張替えたほうが良いと言われたが、自分達では判断できないのでどうなんでしょうか。」という相談だった。所長が見たところまだ大丈夫のようだったが、「ご心配ならば専門の業者を紹介しますよ。」と言うと安心したようだ。考えてみるとこのKさんと出会ってから(自宅を設計してから)、早いものでもう二十年余りの歳月が経っている。その間に生活環境は少しずつだけど変化した。Kさんは大学の助手を経て教授になり、数年前に退官したものの大学に残って研究を続けている。相変わらず忙しい生活のようだ。同じく教鞭をとっている奥さんは単身赴任をしていて、週末に戻ってくる。今でもバリバリに働いているのだ。そして子供達はそれぞれに独立して、今では夫婦二人の生活だという。「今となってはこの家は広すぎたような気がする。」とKさんはポツリと言った。なぜか結婚のお祝いに自宅に招いていただき、息子さんたちと一緒に食事をしたことを思い出した。

 K邸は2階リビングの逆転プラン。敷地が変形している上に、南側に大きな家が建っている。そこで光や風を取り込むために2階にリビング、ダイニング、キッチン、そして和室をもってきた。1階には夫婦の寝室と客間、子供部屋がある。この家が完成して間もない頃、「仕事を終えて戻ってくると、夕映えの中に我が家が見えてきたんですよ。そんな家を見て”我が家が1番美しいなあ”としばらくその場に立ち尽くしていた。」という話をしてくれたKさんだが、家に対する情熱は今だ衰えずという感じだ。リビングの床をじゅうたん張りからフローリングに替え、そしてアルミサッシを木製建具に変更したい等リフォーム願望は強い。そんなKさんに、「どうせリフォームを考えているならば、小出しに直していくのではなく、一度に改修した方が費用も抑えられるから少し様子を見たほうが良いでしょう。それにご夫婦二人の生活をもっと快適にするためのリフォーム、例えば寝室と子供部屋を繋げて部屋を広く使い、そこにミニキッチンを設けたらどうか」等の提案を所長がしたところ大いに乗り気になって、それを目標に頑張っていくということで話しは纏まったようだ。

 家を新築する時って現時点のことが優先されて、なかなか将来のことまで頭が巡らない。だけど確実に生活は変化していく。将来のことを漠然と考える事があるだろうが、将来どういった暮らし方をしているかという事を想像してみることはあまりないんじゃあないかなぁ。家を新築するのを機にちょっと考えてみませんか。そうしてそれらをプランに反映し、生活の変化にフレキシブルに対応できるようにしておけば、もし将来リフォームをする場合、何も考えていないプランに比べてリフォームは容易になるのではないでしょうか。

  大パノラマ!

 今月開催するオープンハウスの建て主、E夫妻と初めてお会いしたのは一昨年前の夏だ。Tシャツにパンツというラフないでたちで奏庵に現れたご夫妻はどこか個性的だった。聞けば音楽関係の仕事をしているという。「家を建てようといろんな建築会社を廻ったけれども、やっぱり設計士の方に頼みたい。知り合いに『住宅だったら村松さん』と言われた。」と話してくれた。その知り合いの方はちょっと存知得なかったが、巷でそういう噂が流れているのだろうか・・・。お話を伺ってみると建築予定地はT市にあるKの集落だという。なんと標高550m。数年前から親しくしている人達が住んでいる土地で、家を新築するにあたりこの土地を世話してくれたのだそうだ。まだ古家が残っていて撮影してあるということだったので、TVにデジタルカメラを接続して見せてもらうことにした。すると所長の顔が次第に意欲的になった。どうやら創作意欲を掻き立てられたのだろう。「まずは土地を見てみましょう」ということで、後日案内してもらうことになった。

 その夏は雨が多かった。その日なんとか雨はあがったものの、鈍よりとした曇り空。連日の雨で湿気を含んだ空気が、肌に纏わりついてくる。待ち合わせのEさん宅でプリウスに乗せて貰い現地に向かう。さすがは通いなれている道らしく、奥さんのKさんは山の中の細くくねった道を器用に進んでいった。駐車場に車を停め、山道を上っていくと霧が立ち込めていた。『村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮れ』と言う和歌がある。“通り雨の雫もまだ乾かないまきの葉に、霧が立ち込めてくるなあ”というとても長閑というか雅というかそんな和歌なんだけど、この地のそれはまるで生き物のように下のほうから次から次へと押し寄せてきた。京の優美さとはかけ離れたこの地の自然の厳しさを実感した。そんな自然と共存してきた古家のなかに一歩入ると、古民家独特のにおいがした。埃っぽく、それでいて以前どこかで嗅いだような懐かしいにおい。懐中電灯で照らしながら見回すと、柱や梁は太くてしっかりと存在感を示していた。障子がビリビリに破れていたものの、建具自体の細工はとても繊細で綺麗だった。

 S集落の人達は、自分達の生活に合わせて手を入れながらも、先代から受け継がれてきた家を守っていると言う。だからE夫妻も「古民家を壊してしまうのはなく、可能であればこの家を生かしたい。」と希望していた。その意見に所長も賛同した。調査をしてみると東側部分は柱も梁もしっかりしていたが、それに比べて西側部分のそれらは華奢であり傾いてもいた。それを受けて所長は東側の部分は生かし、西側部分を建替える分棟プランを提案した。それは新居が職場も兼ねているこの家族にとっては一石二鳥でもあった。パブリックな部分とプライベートな部分を分けた方が気持ちの切り替えが出来ると言う。しかしそれを実現するためのハードルは高かった。標高550mという敷地がその前途に立ちはだかったのだ。これにより建築費用は通常よりも割高になった。例えば解体作業。(最近では分別解体が義務づけられ闇雲に壊すことは出来ないので以前に比べて費用が嵩むようになった。)道幅が狭く大型車両が利用できないため、大型車両が1回で済むところを小型車両は数回往復しなければならないのだ。また暖房計画としてOMソーラーによる床暖房の恩恵を受けるためには、一棟建てにした方が効率が良い。Eご夫妻自身も暖かい環境で仕事をしたいという想いも強くなり、古民家を残した分棟建てよりも一棟建てを決断した。

 先日、オープンハウスに向けて現場の下見に行った。国道152号線を鹿島橋のところで左に折れ、県道9号線にはいると景色が一変した。新緑の若葉が目に眩しく、まだ花を残した桜もいたる所に見うけられた。この日はよく晴れてとってもすがすがしかったので、仕事であることをしばし忘れてしまいそうになった。くねくねとした山道に入りさらに登って行くと見えてきた。その家はこの山の景色の中になんの違和感もなく溶け込んでいた。新築であるにもかかわらず、昔からその場にずっと建っているような趣さえあった。以前オープンハウスに参加された方が、「新築の家を想像して家を探したが、あまりにその土地に馴染んでいるので分からなかった。」という感想を言われたことがあるが、まさにそんな感じだった。2階に上がっていくと、中央にある仕事部屋からは天竜の杉木立、東側の収納部屋からは竹林、西側の寝室からはお茶畑が広がっていた。まさに大パノラマが展開されていたのだ。これはこの土地でしか味わうことの出来ない恩恵なんだろう。とっても気持ちの良い家だった。

  我が家が一番!

  先日、県住宅振興協議会が主催する靜岡県住まいの文化賞の表彰式が靜岡市内のK会館で行われ、審査員及び主催者側の皆さんと建築関係者そして最優秀賞と優秀賞の建築主、設計者、施工者達が一同に集まった。昨年はテレビ局の取材があったようなんだけど、今年は愛知万博の開幕と重なったためなのか、その姿は見当たらなかった。やはり昨今の関心は住宅よりも万博なのだろうか。表彰式の後、休憩時間を挟んで懇談会が催された。司会者が「それぞれの代表者の方はスピーチをお願いします」と言う。すると所長が「スピーチ頼むね」って行き成りこっちに振ってきた。「ハァ〜、私がスピーチするの?」てっきり所長がスピーチするもんだと気楽に参加していた私は、突然のことにあ然としてしまった。ちょっと何を話せばいいのよ。自然素材(無垢の木やほたて漆喰壁)の持つ温もりとか、差し込む光や流れる風の心地よさとか、床暖房を取り入れたことによる自然な暖かさ等が頭の中を駆け巡るが一向に内容が纏まらない。

 まあ幸いにも順番は一番最後だし何とかなるだろうと開き直ると、次第に気持ちが落ち着いてきた。そうだなあ〜、やっぱり建て主の立場としてはこの奏庵を造ってくれた人達への感謝の気持ちを伝えたいなあ。終了時間まじかになって、やっと順番が廻ってきた。名前を告げ、御礼の挨拶をした後、「私は大人になってからピアノを習い始めまして、もう9年ぐらいになります。いつも先生とおしゃべりをしながら、楽しいレッスンをしているんですが、ある時、『そろそろ家を建てようと思っています。』ということをお話したら、『それならグランドピアノが倉庫に眠っているから、あなたに貸してあげるわ。』と言ってくれました。そこで遠江・奏庵の名前の由来でもあるんですが、“音楽に親しみながら、快適な空間の中で暮らしたい”と言う私の要望を、主人である所長に伝えると快く設計をしてくれました。そして今日は欠席されているH建築さんが心を込めて造ってくれました。とても満足しています。これからも大切に暮らしていきたいと思います。」となんとかスピーチを終えることが出来た。

 次に設計者の立場から所長が話し始めた。ここでその内容をご紹介したいところなんだけど、自分のスピーチが終わった直後でホッとしたため、その内容はほとんど覚えていない。「こういうところで話すのは苦手だ」とか「光とか風とか」言ってた様な気がするんだけど・・・。その後講評で静岡県都市住宅部建築住宅総室のSさんがスピーチに立ってくれた。「この家は第一審査の時に一番人気があって、みんなが見学したいと言っていたこと。」「建築家の自邸ということもあって、長年携わってきた仕事の集大成という意味合いもあり、その想いが伝わってきたということ。」そして私が一番嬉しかったのは、「とても猫を可愛がっていて、猫に関するテイストが沢山あり、玄関に猫の足跡の模様があったりしてとても粋な家だ。」と言ってくれたことだ。Sさんのスピーチにはとても温かみがあった。

 それにしても、皆さんお喋りになる。う〜ん、皆語りたいんだろうなあ、建て主も設計者も施工者も・・・。それぞれの想いはとても一言では語りつくせないようだ。それほど皆さん自分達の家に愛着を持っている。今回は受賞した作品に関わった人達の話を聞くことが出来た。どの建て主からも素敵な家を実現することが出来た喜び、満足感、そして我が家を慈しんでいることが伝わってきた。きっと受賞しなかった人達もそれは同じなんだろうなあ。この住まいの文化賞に応募するということは、皆さんが我が家が一番だと思っているからに違いない。かく言う私もそう思っている。やっぱり我が家が一番だ。
 
 

  一級建築士試験!

 スタッフのYが事務所を辞めることになった。一級建築士試験に専念するためだ。この一級建築士の試験というのは年々難しくなっているようで、なかなか合格しない。知人のIさんも「僕も3年がかりで合格しました。」と言っていたし、途中で諦めてしまう人もいると言う。また合格するために勤め先を辞めて試験に臨む人も多いということだ。だけど彼女は「村松事務所の仕事は面白いので何とか辞めたくない」と専門学校に通いながらも頑張っていた。仕事納めで年越しそばを食べに行ったときにも、「何とか両立させて頑張りたい」と言っていたが、今年に入りプレッシャーがいよいよ強くなってきたようで、体調もすぐれず、顔には疲労の色が色濃く浮んでいた。だけど今年こそは合格したいという彼女の執念と、専門学校に支払った費用もばかにならないという事情、それらがなんとか今の彼女を支えているようであった。

 彼女が図面の入った布製の大きなバックを引き摺るように持って、面接に現れた姿は今でも良く覚えている。彼女の描いた図面は、まだ荒削りだったが独特の感性のきらめきが感じられた。以前の会社では現場監督の仕事をしていたようで、直接設計には携わっていなかったようだったが、その感性にかけてみようと採用した。最初は戸惑うことが多くて大変だったようだけど、持ち前の頑張りで何とか切り抜け、今では事務所の力強い戦力だ。だから事務所としては、いささか困ってしまう。だけど彼女の夢の実現のためにはいたしかたない。そこでスタッフを募集している。今まで村松事務所では採用にあたり、即戦力になってくれるような経験者を求めてきた。だけど彼女の出現でその考えは大きく変えられた。基礎的な建築の勉強を積んでいれば、設計の経験をあまり重視しなくても良いのではないかと・・・。それに却ってその経験がマイナスに働く事だってある。

 ある建築家の著書に、『あるハウスメーカーの依頼で社員の設計研修を担当したとき、「どのくらいのペースで住宅を設計するのですか」と聞かれ、「5、6戸です」と答えたら、「週にですか」と言われ仰天した。僕は1年の戸数を答えたのである(中略)彼らは週に20〜30戸の設計をするのが普通のペースで、優秀な人になると30戸近くも担当するという。それを聞いて僕は思わず頭を抱えてしまった』という話が載っていた。彼らは、自社の設計マニュアルに当てはめてクライアントの要求を次々とクリアしていく。それに対し2〜3人のスタッフで運営される設計事務所は年間にせいぜい数戸というペース。その先生曰く、「ハウスメーカーは誰もが受け入れられるような一般解をつくり、アトリエ建築家は特定のクライアントに固有の特殊解をつくる。」やはり両者の間には住宅の提供の仕方において大きな隔たりがあるみたいだ。

 このように長い間、前者のような住宅の設計に携わってきた人の中には、考え方が画一化してしまい、自由な発想が出来なくなってしまうようなことがある。枠の中で考えることに慣れてしまうとなかなかそこから抜け出すことは容易ではないようだ。村松事務所のようなアトリエ事務所では、まず所長がお客さんとの打合せを繰り返しながら、基本設計プランを作成していく。そしてスタッフがそれをもとに、より詳細な実施設計へとプランを展開させていく訳なんだけど、その過程において発想力はもちろん、創造力や想像力が多いに必要になる。また所長は、「建築において、答えは一つではない。こうも考えられるし、ああも考えられる。前にこうやったから、今回もこれで良いんだということはない。だから柔軟にものを考えることが必要なんだよね。」と言うが、そんな柔軟性も大事だ。だからそういう資質がある方(得意な方)にはこの事務所の仕事は面白いだろうが、反対にそういう資質が乏しい方(苦手な方)には、この仕事は苦痛かもしれない。願わくばこの仕事を楽しんでくれるようなスタッフと仕事がしたいなぁ。
 
 

  家造りって大変だ!

 昨年は台風が信じられないぐらいに沢山発生し、なんかおかしいなあと思っていたら、新潟で地震が起こった。そして年の瀬にはスマトラ沖地震により津波が発生して多くの人々の命が失われた。今年に入ってからも大雨による洪水等各地で様々な異変が続いているようだ。地球が悲鳴をあげているのだろうか。少々不安になる。ただ今年の年明けは、荒れ模様という予報とは異なり穏やかだった。もうすっかり昇ってしまった太陽を眺めながら、今年も平穏な年であればなあと思った。遅い朝食を食べて寛いでいると、郵便ポストの方でカチャッと音がした。すぐさま所長が立ち上がりポストに向かう。所長は建て主の皆さんから送られてくる年賀状をとても楽しみにしているようだ。それぞれの近況が綴ってあったりするからなんだろう。今年の年賀状をみると、概ね皆さんお元気なご様子。所長の設計した家を慈しみ心地よく暮らしているみたいで本当に嬉しく思う。

 喜多方のHさんご一家は、『やってきました コッコハウスの年』と自邸を印刷した年賀状を送ってきてくれた。なんだか笑ってしまう。「昨年は快適な家、ありがとうございます。この冬も寒さ知らずですごせそうです。」とは一昨年に住宅を新築されたMさん。良かったなあ、OMソーラーがしっかり機能しているようでちょっとホッとする。「今年から夫婦二人の生活になります。OMソーラーは快適ですが少し改築を考えたいと思います。」というKさんご夫婦。早いものだなあ。17年という年月が経ったんだ。「村松さんのホームページを見るのが楽しみです。まだまだ庭など未完成なので徐々に手を加えて、家を大切にしていきたいと思います。」とYさん。最近ホームページの更新を疎かにしているけど、頑張らないと・・・。「日々忙しい生活を送っていますが、おかげ様で気持ち良く暮らしています。(かみしめる程の余裕はありません)ゆとりができましたら、又お便りします。」とMさん。「開業して10年になります。」と岡山で病院を営んでいるNさん。そして「完成を楽しみに待っているところです。」というHさん。

 これらの年賀状を読んでいると、皆さんそれなりに自邸に満足してくれているようで嬉しく思う。時間をかけて丁寧に家造りをしていくということの大切さを改めて感じる。皆さん建築の専門家ではないから、家に対する要望も漠然としていることが多い。そんな手探りの状態の中で『何を言いたいのだろうか。』と根気よく話し合いを続け、建て主の想いを汲みとっていかなければならない。それも一人や二人の意見ではない。2世帯住宅ともなれば、住まい手それぞれの想いを理解しなければならない。大変だなあって思う。所長は奥さんの気持ちが理解できるようにと、時々キッチンに立って料理をする。実際その場で働いてみないと分からないことがあるからだという。私としては大歓迎、今年の正月のお雑煮も所長のお手製だった。また、女同士ということで私が要望を聞くこともある。ある時直接担当スタッフにその要望を話そうとすると、なんだか聞きたくない様子だった。その後所長の方に「窓口はひとつにしてもらいたい」と言ってきたという。そう言われてもねぇ、なかなかそういう訳にもいかないんだけど・・・。

 しっかりとご家族の意見をまとめてくれるような人が家族の中にいる場合は良いけれども、そうでないことの方が多い。打合せをして間もないのに突然お父さんから電話がかかってきて、家に対する要望が伝えられる。それが家族全体の総意だと思って設計を進めていくと、後でとんでもない事になる。それは単にお父さんの思いつきで、他の家族はぜんぜん知らなかったりするのだ。その辺の確認をしながら、仕事を進めなければならない。またある時お母さんから電話がかかってきて、「家族には内緒にして欲しいのですが・・・」と前置きしてから、「和室には欄間が欲しい。それが私の夢なんです。」という。ご夫婦間、ご家族間でもやはり遠慮があるようだ。それとはまた逆に打合せの最中にテンションが上がってしまい、夫婦喧嘩のようなディスカッションが始まってしまうケースがある。こちらとしてはただぼ〜ぜんとしばらくそのまま見守ることしか出来ない。そして静かに時だけが経過していったりする。家造りって大変だ。
 
 

  兵(つわもの)達の夢!! 

 ピアノのレッスンに行くと、相変わらず話をしている時間の方が長い。最近では新居に移っての感想が多いかな。「家に帰るのが楽しくて、もうマンションには住みたくない。」と言う。「私は住居を新築するって話が出た時、村松さんが設計してくれる家ならば住んでみたいと思ったのよ。村松さんでなければそう思わなかった。」とのありがたいお言葉。そして「でもこんなふうに家造りをすることの出来る人は幸せよ。だって皆なそう思ってもなかなか出来ないと思うの。」と謙虚に喜びを語ってくれた。だけど不思議、N先生と私の出会いは8年前に遡るが、その頃先生から家の設計を頼まれる事になるなんて露ほどにも思わなかった。先生にはマンションだったけど住むところがあったし、あまり住居に対して関心もないようだったから・・・。それが諸事情により家を新築する事になった。世の中何が起こるかわからないなあ。そしてお母さんまで、「設計を頼むならば村松さんにお願いしたい。」と言う。なんとお母さん、S展示場にあった所長の設計したモデルハウスを見学していたようなのだ。な〜んか不思議な巡り合わせに驚いてしまった。

 村松事務所は、特に宣伝をしている訳でもないし、営業スタッフがいる訳でもない。お客さんの多くは、たまたまホームページを見て、どんな事務所なんだろうと興味を持って訪ねて来てくれる。それもいろんな建築会社、工務店、事務所を訪ね歩いて最後にたどり着くっていうケースが多い。なかには建築会社で家造りを始めていたのに途中でそれを断ってしまったという方もいらっしゃる。聞くところによるとその住宅会社は営業のスタッフがお客さんと家造りの話し合いを進めていくという方針のようなんだけど、自分達の家造りに対する想いの変化(変化というよりはご家族が求めているものがより具体化したのではないかと思うんだけど・・・。)に営業が対応しきれなくなってしまったようで、これが最高のプランですと提案してくれるものに対し納得がいかなくなってしまったという。やっぱり直接設計者と話をして家造りをしたいと訪ねてくれた。だからなのだろうか、皆さん一筋縄ではいかない。兵(つわもの)ばかりだ。

 住宅の設計っていうのは無から有を構築していく訳だから発想力が必要だと私は思う。皆さんも、そんな所長の発想やアイディアに期待して訪ねてくれるんだろう。だから皆さんの期待(夢)に対し充分に応えていかなければならないなあって思う。だけど住宅に対する期待度が高いし、こだわりだって生半可じゃあないので、そんな皆さんの濃密な想いが反映されたプランは、大概予算をオーバーしていることが多いのだ。所長も頑張って提案してしまうので予算がアップしてしまう。その後の減額作業が大変だ。それならば予算内のプランを提案すれば良いじゃないと思うでしょう。私もそう思った。だけど人間って不思議なもので、予算を重視したプランを見せても納得しない。以前あまりにも予算と要望の間にギャップがあったので、所長としては気を利かして予算を優先したプランを提案したことがあった。だけど納得しない。顔に“私達は満足していない”と書いてある。そんな訳でまずは要望を叶える方向でプランを考えるのだ。

 先日基本プランのプレゼンテーションが完了し、建築の方向性が決まったI邸も例外ではなかった。打合せの状況を聞く度に、予算をオーバーするだろうなって心配していたが、案の定予算を超えてしまっている。そこで事前に用意した減額プランを提案するが、それがなかなか採用されない。やっぱり素材の持つ質感や住み心地を大事にするから、「床や壁、天井材は村松さんの家と同じが良い。」「アルミサッシはちょっと・・・。」「床暖房は是非やりたい。」等の意見が飛び交う。奏庵見学の際に私が『特一(節の多い木材のこと)はあまり好きではないんですよ。目が悪いので特一だとどうもゴキブリが這っているようで嫌なんですよ。』と言ってしまうのも悪いのだろうか(少々反省)。だからなかなか減額できないのだ。それに減額プランを見ても「この位の金額ならば、1回家族旅行を我慢すればいいんだよね。」といって見送られる。う〜ん、そうではないのだ。そんな細かい金額の積み重ねが大切なんだけどなあ。

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村松篤設計事務所

〒432-8002
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FAX.053-478-0492