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村松篤設計事務所は、静岡県の西部、浜松市にあります。

お問い合わせはTEL.053-478-0538

〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

  ☆この曲はのあらっさん『ときめき』という曲です。 
    

  自然エネルギー利用

   今年の6月にOMソーラー協会の本社が新築されて、全国にある会員工務店の皆様が集まった。そしてOMソーラーの家の見学会も行われ、この奏庵にはバス7台に分かれた約300人の人達が続々とやってきた。皆さんとっても熱心に見学されていたが、夏にいらしてもOMの良さを味わうことは出来ない。やはりOMの醍醐味を味うんだったら冬だ。この季節、家が暖かいのはとても嬉しい。先日遊びに来た友人のMが、「嫌〜な感じの暑さじゃあないのが良いねぇ。羨ましいよ。」なんて言って寛いでいた。本当に奏庵の中は冬の陽だまりのような、仄々(ほのぼの)としたあったかさなのだ。在宅で仕事をしている私や愛猫のベルは、毎日この恩恵を受けている。以前から寒いのは苦手だったけど、この家に住むようになって前にもまして苦手になってしまった。冬は日没後の外出なんて考えただけでも震ってしまい、友人の芝居の誘いも断ってしまったぐらいだ。(ごめん。春からは大丈夫だから・・・。)

 これも床暖房のおかげかなぁ。床暖房もいろいろと開発されているけれど、奏庵では東京芸大の奥村先生が考案した太陽エネルギーを利用するOMのパッシブソーラーシステムを採り入れている。このパッシブとは辞書を引くと受動的という意味だが、石油や機械を利用する考え方をアクティブとするならば、それに対し熱や空気を自然のまま利用するという考え方としてパッシブと捉えている。OMのOは“面白い、Mは勿体無い”ということらしいんだけど(諸説あり)、確かに無尽蔵に地球に降り注ぐ太陽エネルギーを利用しないのは勿体無い。もしこのエネルギーが充分に活用できていたならば、今のイラクの混乱はなかったかもしれない。いずれは枯渇してしまう石油資源に頼るよりは、このエネルギーの研究をもっと進めてくれたらいいのになあって思う。簡単にこのシステムについて説明すると、『屋根に取り付けた集熱パネル(ガラス)に降り注ぐ太陽エネルギーが、軒先から採り入れた空気(外気)を暖める。その暖められた空気はファンによってダクトを通り床下へと送られ、床下のコンクリートに蓄熱されながら広がっていく。そして残った空気が床の吹き出し口から室内に流れる。』というものだ。(なにぶん私なりに理解したことなので、詳しいことはOMソーラー協会のHPをご覧ください。)

 このようにOMソーラーは間接的に部屋を暖めるので、直接暖房(エアコン等)による顔がのぼせるようなムッとしたような暖かさではなく、仄々(ほのぼの)としたあったかさを可能にした。そして家全体を暖めるので奏庵のように部屋を仕切らない広々とした吹き抜けの空間をも実現した。従来の生活のままだったら、今頃はこたつに入り背中を丸めていただろう。それが薄着のまま伸び伸びと生活することができるようになったのだ。村松事務所を訪れる建て主の方は、OMソーラーに関心のある方が多いので、床暖房の体感を兼ねて奏庵で打合せをする事があるが、この暖かさは皆さんにすこぶる評判が良く、もう寒い家に戻りたくないとなかなかお帰りにならない。初めての冬を迎えるN邸のお母さんも、『本当に優しい暖かさで、とても良いです。』と嬉しそうであった。また、暖かな空気は床下のコンクリートに蓄熱されるので、外気が低くなっても室内はある程度の温度を確保することが出来る。昨年の冬、外気が1℃の時、室内温度は19℃だった。単に断熱材を施しただけではここまでの温度の安定はないようだ。

 ただ、先ほども述べたようなパッシブソーラーなので、充分な日射が得られない曇りや雨の日、太陽が沈んでしまった後等にも充分な暖かさを欲する場合は補助暖房が必要になる。(必要としない方々もいる。)私達は寒がりなのでOMソーラーの動きと連動する空気式床暖房システム(熱源はガス)を入れている。暖かな生活に慣れてしまった私達は、昨年ちょっと冷え込んだだけでも補助暖房のスイッチを入れてしまった。そして翌月のガスの請求書を見て絶句。やはり家全体を暖めるので光熱費はばかにならない。倹約しなければとその時は思ったが、このシステムは夏になるとお湯採りが可能になるのでガス代がびっくりするほど安い。均(なら)して考えるとガス代もそんなに高くは無いと思い直すようになった。やはり私達にとって今や暖かさは何物にも変えがたい。
 

  奈良の風景

 近鉄橿原線の車窓に二つの塔が近づいてきた。西ノ京にある薬師寺の東塔と西塔だ。私は洗練された京都も好きだけど、自然が点在する奈良の風情も好きで、学生だった頃、亀井勝一郎さんの『大和古寺風物誌』を手にこの地を散策した。亀井氏はこの西の京から薬師寺と唐招提寺へ行く途中の春景色を『由緒正しい春』と記していたけど、私もな〜んかそんな気がするこの土地の春が大好きだ。そんな地に建てられた薬師寺は天武天皇が持統天皇(当時は鵜野潜良皇女)の病気平癒を祈願して建立されたという。すごい、奥さんのためにポーンと寺院を建ててしまうのだから。自宅を建てるのだって四苦八苦なのに。まあ比較するほうが間違っているというものなのかもしれないが・・・。

 1981年に再建された西塔は、極彩色に塗られ鮮やかな姿をしている。私はこの塔を見上げるたびに、遥か昔に存在していたであろう天平人の姿を思いだす。彼らが見上げた塔もこんなに色鮮やかな姿をしていたのだろうか。この戦乱に明け暮れた時代、兄弟であっても互いに刃を向けなければならなかった時代だ。人々はどんな気持ちでこの塔を眺めたのだろう。そんな思いに囚われるのは私だけかなぁ。これに対して東塔は、彩色は見る影もなく剥落してしまっている。だけどこの塔のほうが私には馴染み深く、美しいと感じるのだ。古美(ふるび)ていく姿を美しいと感じる日本人の感性がそう思わせているのだろうか。だけどアメリカの美術研究家フェロノサもこの塔を見て、『凍れる音楽』と絶賛したという。屋根と裳階の絶妙なバランスがリズム感をかもし出しているというのだ。創建当初の東塔の姿がベースになっているという西塔は、現在の東塔に比べると2,4メートル高く、屋根の傾斜もなだらかになっている。東塔は長い時の流れのなかで、よりシャープに研ぎ澄まされ、美しく変わっていったのかな。

 これらの日本の神社、仏閣は1000年以上経ってもなお、その姿を維持し続けている。これは材料に檜、ヒバなどの耐久性の高い樹種の『心材(しんざい)』を使用しているからだという。この『心材』というのは、木の内側の部分を指している。反対に外側の部分は『辺材(へんざい、しらた)』という。ある程度太くなった木材は、内側の部分と外側の部分とで色や水分含量が異なっている。心材部分は細胞としての機能が停止し、取り残された樹液などが変化して色素や樹脂になり組織にたまっているので、虫害を受けにくく腐れにくいという特徴をもつ。特に木の芯の部分を含む材は耐久性、耐蟻性、耐水性に優れているといわれている。それに比べ辺材部分は樹液の流動や養分の貯蔵など植物が生育するために、必要な細胞があるため水分含量率が高くなっているという。

 世界最古の木造建築が、斑鳩にある法隆寺の五重塔だ。私は修学旅行を避けて、晩秋の法隆寺を訪れた。駐車場には、観光バスが1台止まっているだけだった。これならゆっくり見学できるだろうと喜んだのも束の間、制服の集団がバスの中から降りてきて、入口からぞろぞろと法隆寺の中に入っていった。なんか嫌な予感がしたが、その予感はみごとに的中した。彼女達は、それぞれにポジションを決め、大きな声でガイドの練習を始めたのだ。法隆寺の境内はそんな声が重なりあい響き渡った。(何もこの時期に来なくてもいいじゃない。)早々に法隆寺を後にした私は、夢殿を見学して、中宮寺の弥勒菩薩を訪ね、アスファルトで舗装された風情のない道を、発起寺、法輪寺と巡っていった。すると前方に多くの人達が群れている。何んだろうと近づいていくと、皆さんカメラを手にしていた。よくよく見るとそのカメラは法隆寺の方に向けられている。何気なく振り返った。すると細長い雲がたなびく茜色に染まった空を背景に、法隆寺の五重塔が見事なまでに美しく佇んでいたのだ。このときの記憶は今でも忘れがたい。
 

  無垢の木の力

 先日地元のアマチュア劇団が50周年を向かえるということで、それを記念する会が開かれた。所長も私も以前携わったことがあったので出席することにした。その日はその会に先んじて、劇団の稽古場でのアトリエ公演が催されるという。久しぶりにお芝居を見るのもいいかなと出かけることにした。井上ひさしさんの『闇に咲く花』という芝居だ。話は戦後の食糧難の時代、ヤミ米を求め買出しに行った主婦達が、妊婦姿で登場するシーンから始まる。そして神田の愛敬神社を舞台に、戦後をたくましくも懸命に生きていく人々の悲喜こもごもを描きながら物語は展開していった。井上さんの脚本は暗い時世、暗いテーマを扱っても、それを暗くさせないで明るくしてしまう不思議な力がある。劇団員達は緊張しているのか台詞のとちりは多かったが、それぞれに趣のある役作りをしていて味わい深い作品に仕上がっていた。好きなことに一生懸命打ち込んでいる姿っていつ見ても素敵だ。

 夕方のレセプションまでには少し時間があったし、冷房も扇風機もない会場で、扇子と団扇を扇いでの観劇にいささか疲れを感じ一旦家に戻った。それでも時間の余裕を見て出かけたんだけど、この時期浜名湖花博が開催されていることもあってか、交通量が多く渋滞して少し遅刻してしまった。会場にはすでに多くの人達が集まっていた。結構年配の人達が多く、私達はまだ若い方に属しているようで、この劇団の重みを改めて感じた。予め席が決められていて私と所長は別々のテーブルになってしまった。(寂しい〜)だけどテーブルには、久しぶりに会う懐かしい顔があった。Cちゃんは当時のパンフレットを持ってきていた。皆な若く、痩せていた。確実に時は流れていたが、「利枝ちゃんは変わってないねぇ」と言われて少々ホッとした。所長は劇団の責任者をしているFさんの奥さんから「村松くんのモズの役は今でも記憶に残っている。素晴らしかった。」とお褒めのお言葉(?)をいただいたようで気をよくしていた。『ブンナよ、木からおりてこい』という芝居で鳥のモズ役を演じた所長は、見ている私が気恥ずかしくなってしまう程にモズになりきっての熱演であった。あの時に「モズさんですよね。」とサインを求められたと当時を思い出し得意そうに語った。

 篤ちゃん(所長)が独立して設計事務所をしていること、昨年家を新築してO台に住んでいること等を話すと皆な興味を持ったようだ。設計者が自ら設計した自邸は一体どんな家なんだろうとなんか期待を持つらしい。これはどこでも起こる現象なので、私は常々奏庵の写真を携帯している。プロの写真家のUさんが、家の表情をとっても素敵に撮影してくれている写真だが、今ではもうボロボロになってしまった。写真を見せると一様に“ワァァ〜”という言葉が返ってくる。これは驚きなのか、はたまた賞賛なのかよく分からない。そして次に出てくる言葉は「広いねぇ」だ。だけど実際には36坪しかない。これは1階が吹き抜けになっていることと、所長の設計意図と予算不足のため仕切りがないので広く感じるんだと思う。そして自然素材を用いた室内はとても温かみがあるみたいで好評だ。当時の仲間達はさっそく見学に来てくれるようだ。

 そんな写真をお見せすると、やっぱり話題が住宅に及ぶ。Sさんも住宅を新築したようなんだけど、どうもあまり満足していないみたいだ。Sさんの自宅は湿気がひどいようで、「石膏ボードの上にクロスを張ると、こんなに湿気るとは思わなかった。そんなこと施工者は何にも説明してくれなかった。」と不満を漏らしていた。そういえば以前住んでいたマンションも気候によっては湿気がひどく、南側の窓は(南側といってもどちらかというと南西かな。生活ゾーンでの窓はそこしかなかった。)結露してしまい、水滴が窓ガラスを伝わり落ちていた。そして北側にあった洗面所のクロス張りの一部は黒ずみカビが生えていた。湿気る理由はいろいろあるようなんだけど、呼吸しない材料は自ら調節してくれないから、それも一因ではある。だけどSさん、「無垢の木でベッドを作ったら少しは良くなったけどね。」と言っていた。やっぱり無垢の木ってすごいんだなあ。
 

 成城・旧猪股邸

 東京の成城に建築家吉田五十八氏の設計による旧猪股邸がある。この旧猪股邸は(財)労務行政研究所の理事長を務めた故・猪股猛氏ご夫妻の邸宅として建てられた住宅で、この邸宅を長男の靖さんが「貴重な文化財として末永く残したい」と(財)せたがやトラスト協会に託し、平成11年10月から当協会の管理運営により一般公開をしている。吉田氏は戦後日本の代表的建築家で、日本の伝統的数寄屋建築の近代化に努めた。(以前コラムにも書いたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃるかな?)主な作品には「小林古径邸」をはじめ、「伊東深水邸」「吉田茂邸」「岸信介邸」「五島美術館」「大和文華館」等がある。なかなか吉田氏の作品を建築雑誌以外で見る機会がなかったので、この猪股邸が見学可能だということは嬉しいかぎりで事前に説明書きも入手したのだ。それによると武家屋敷風の趣がある数寄屋造りの建物とあった。数奇屋と武家屋敷風というのがいまいち繋がらなくて、いったいどんな建物なんだろうと不思議に思っていた。

 成城の街並みを5分ぐらい歩いただろうか、数奇屋の正門を構えた旧猪股邸が見えてきた。正門から眺めた屋根は美しく、玄関までのアプローチも素敵だった。玄関を入るとすぐのホールに入園者の名前を記載するノートがあった。公開以来多くの人が訪れているようだ。ホールの先に居間が広がっていた。居間は広さもさることながら天井がすご〜く高い。私のイメージの中にある数奇屋に比べて少し大味な気がした。う〜んこれが武士道精神を尊ぶ建て主の心を反映しているんだろうか。私にはオーバースケールで少々落ち着かなかった。(吉田五十八さん、すいません)そして居間から眺められる庭は、個人住宅の庭という規模をはるかに超えている。応接セットの置かれている婦人室には、見学者が取った写真がアルバムに収められていた。四季のそれぞれの植物の姿が映し出されていた。こんな東京の一等地でありながら、自然に囲まれ四季を味わいながらの生活は、何よりの贅沢だと思う。

 新幹線の車窓から眺める東京の街は、住宅の屋根が重なり合っている。この屋根から推測するに住環境はとても期待できそうにもない。隣り合う家との感覚は狭いから(まさに密着といっていいような感じのものもある)、日当たりはもちろん風の流れだって良くないだろうなあ。だけど旧猪股邸のある成城は違う。成城の街並みはどこか品があり、ゆとりのようなものを感じた。敷地自体が広いためもあるだろうが、それぞれの住宅は個性的なのにしっかり調和が保たれていた。こんな街に住んでみたいなあと思わせる魅力を持っていた。たぶん住めないけど・・・。ガレージに駐車してある車は、ほとんどが外車もしくは高級な部類に属しているであろう国産だった。きっと地価も高いんだろう。

 浜松にもおしゃれな住宅地として皆から羨望を集めていたS台という街がある。だけど成城に比べると今ひとつ垢抜けない。住宅や店舗、アパートが混在していて、複雑でごちゃごちゃしているのだ。そんな開発の問題点を踏まえて、新しく計画されたが私達の住むO台という街だ。S湖西岸地区都市景観形成地区基準というものがあり、住宅を建築する上でいろんな制約がある。例えば屋根については、「屋根の形状は陸屋根以外とする。」「色彩は、黒、茶または深緑を基調とする。」「屋根の向きは、周辺の統一を図り景観に配慮する。」建物の外観については、「外壁の形状は魅力的なデザインとする。」「色彩は周辺環境と調和したものとする。」また、高い塀ではなく生垣を設け、緑化に努めなければならない。そんな住宅地には素敵な住宅やおしゃれな店舗が集まってきている。所長のいきつけの理髪店はS台にあるが、その親父さんは今ではO台に憬れているようだ。だけど、う〜んと首を傾げたくなるような建物もある。成城のような雰囲気にはなるだろうか・・・。

 素材の力をひきだす設計力

 先日、「新建ハウジング」のAさんが、わざわざ長野から訪ねてくれた。この「新建ハウジング」は住宅の専門誌で、主に地域工務店と設計士を対象に、建築の多岐にわたる情報を発信している。それは単に話題性とか興味本位のものではなく、もっと生活に密着した、地に足の着いた事柄に目線を合わせているように思う。この会社は出版関係の会社には珍しく長野に拠点を置いているのだ。今年の春、この新建ハウジングのAさんから取材の依頼を受けた。Aさんは以前出版された「ムリなく住めるエコ住宅」という雑誌の中のY邸レポートを読み、気象、敷地、暮らし、そして通風と採光を考えた住まいづくりを、まさにすばらしい家づくりと共感してくださったのだ。この雑誌には所長が設計した東北のA町にあるY邸の家造りについての、その経過や詳細が紹介されているんだけど、もう3年も前に出版されたものだ。Aさんは、「そのレポートが、常に頭の片隅にあったんですよ。」と言っていた。なんか嬉しい。

 Aさんは、「住まいと環境のかかわりは、現在の、そしてこれからの住まいづくりの大きなテーマのひとつで、その中心をなすのはエネルギーであり、光、熱、音、空気である。」と考えている。そして「それは単に設備・機械的な便利さや快適さの効率を高めることによるのではなく、変化する自然(外界)との応答のなかに現代の問題点を解決する筋道がある。たとえば冬の寒さ、夏の暑さをしのぐにしても、クーラーなどの冷暖房機をフルに使って力づくで押さえ込むのではなく、光や風を採り入れそれと応答しながら五感を生かすことのできる建築の作法(しつらえ)がまず先にあり、機械力はその後のことだ。しかしメーカー主導に住宅が生産されている現状のなかで、法律や制度の制約もあって全体の流れは必ずしもそういう方向にいっていない。またそういった考えを持って真摯に家造りに取り組んでいる設計士や工務店の実践例がなかなか消費者に届きにくい。そこでそういった実践例を紹介しながら、消費者にも伝えていきたい。」と言う。

 今回、「素材の力をひきだす設計力」と題し、奏庵を取材してまとめてくれた。『所長の建築素材(木や自然素材)へのこだわり。それらの特性を識り、その良さを生かす設計。そんな素材には造り手の想いが宿り、造り手の力をもひきだす。それが結果的には、住まい手の反応となって返ってくる。』確かに奏庵を見学に来てくれた人達は、敏感にそれを感じている。奏庵の空間の心地良さ、温もりは五感に届いているし、建築のしつらえに心が動くようだ。そして「是非私達もこの家を造った大工さんにお願いしたい。」「このほたて漆喰壁にして、この壁を塗った人に塗ってもらいたい。」「天井、壁、床の材料は、村松さんと同じものにしたい。」という声が多い。熱心な施主のFさんなどは、自分自身で仕上げレポートをまとめている。この間完成したN邸にしても、材料や仕上げは殆んどといっていいくらいに奏庵と変わらないので、遊びに行くと妙に懐かしい気がする。

 また、所長の家づくりに共感してくれている仲間達が紹介されている。高い技術やこだわりを持ち、真面目にもの造りに向かう人達だ。棟梁のMさん、左官のMさん、製材会社のSさん、建設会社のKさん。M棟梁への指名は多い。「仕事はあるのはとってもありがたいんだけど・・・。」と嬉しい悲鳴をあげながら、スケジュールの調整に大変そうだ。左官のMさんも地元浜松だけではなく、遠方の仕事もこなしている。Sさんはとても熱心で、自分が送り出した木材がどのような使われ方をするのかを、奏庵の施工中、そして完成時と岡山から足を運んでくれた。Kさんも本業である建築の仕事があるのに、最近ではほたて漆喰壁に夢中になって、北海道の発展のために頑張っている。今回は紹介されていないけど、奏庵建築にあたっては多くの方々に協力をしていただいた。改めて感謝したい。そして奏庵の現場写真と詳細図面を両手に抱え、浜松を後にしたAさんにも感謝したい。Aさんもまた熱心なもの造りの職人だなあって思った。 

 遠江・奏庵 再び!!

 遠江・奏庵で暮らし始めて、1年余りが経った。早いといえば早かったけど、とても充実していたように思う。公園の近くという住環境も幸いして、それぞれの部屋の窓からは木々の緑が眺められる。撮影のために急いで整えた庭の冬枯れの樹木達も、春の訪れとともに芽生え始め、頼りなく感じられた若葉も、今では青々と茂っている。それまではマンションの10階で生活していたので、自然というものをそして四季の変化をこんなに身近に感じたことはなかった。庭を抜けて部屋を横切る風の流れは、とても気持ちのいいものだ。自然な風の心地良さを知ってしまった今となっては、どうも冷房をつけようという気が起こらない。だけどさすがに今年の7月は暑い。特に凪状態になるとたまらないが、何とか扇風機で凌いでいる。

 私達がこの奏庵に引っ越してきたのは、台風を思わせる大雨の日。昨年は雨が多く、そのまま梅雨入りしたかのようだった。そんな時期でも梅雨独特のうっとうしい不快感をあまり味わうことがなかったのは、この家自体の構造(大屋根)と自然素材を多用したことによるように思う。国産の松材による3本の登り梁は無垢材特有の割れを生じているが、この時期にはその割れ幅が狭まっているように思う。これは無垢の木自体が水分を含むことにより、膨らんでいるのではないだろうか。これぞ湿度調整の証じゃあないかな。確かにこの時期家全体を見渡すと、水分を含み潤っているように見える。また、ほたて漆喰壁の効用でもあるようだ。先日この家を訪ねてくれたK建設のKさん(ほたて漆喰壁の開発者)によれば、ほたて漆喰壁は調湿性に優れているという。私が快適な室内環境の話をすると、しだいに顔が紅潮していった。北海道の人は梅雨を知らないので、このことによって随分自身を深めたようだ。

 この一年で、天井、梁、柱、床は自然に色づき、より温かみを増したように思う。相変わらずリビングのソファーに身を置くとなぜかホッとする。日々の疲れや患難を暖かに包み込んで癒してくれる。これはこの奏庵の高さを抑えた空間の寸法が、私の感性にとても合っているからだと思っていた。しかしそればかりではないようだ。この奏庵は軒が深い。雨が降っても余程ひどくなければ降りこむことがないので、窓を開け放している。ある日、軒先から伝わり落ちる雨を何気なく見ていた。するとなぜだか分からないけど次第に気持ちが落ち着いていった。この軒天(外側に出ている屋根の裏側)は天井と同じ杉材による仕上げになっているが、そのことで軒先からの天井への繋がりを、そして大屋根の存在をも気づかせてくれた。この大屋根が私達を大らかに包み込み安定感を与えてくれていたんだ。所長はこの軒天の仕上げには非常にこだわっていた。その理由が最近ようやく理解できた。
 
 こんな所長の配慮は至るところに潜んでいる。緩やかで上りやすい階段、掴んだ時の手触り感がとても心地よい手すり、階段途中にある飾り棚、今でも木の匂いが漂う青ヒバの浴室、私の身長に合わせたキッチン。パソコンにむかっている書斎では、行き詰まってふっと目をやった窓から自然の緑が眺められる。これにはとてもホッとするのだ。こんな細やかな配慮はとても嬉しい。所長の設計の生命線は、ディテール(細部へのデザイン、材質)へのこだわりだ。このディテールにこだわるということは、単に外観上の美しさを追求するということだけではなく、住みやすさ、心地良さへの追求でもあったんだなぁ。

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村松篤設計事務所

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