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村松篤設計事務所は、静岡県の西部、浜松市にあります。

お問い合わせはTEL.053-478-0538

〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

 ☆この曲はあらっさんの『散歩道』という曲です。 
  

  遠江・奏庵6

 いよいよ奏庵も終盤を迎えた。やっぱり壁が塗られると出来上がったなあって感じになる。左官のMさんが自画自賛しながら壁を塗っていただけあって、壁の表情が美しく、そのうえ格調高い。本当に素晴らしい家になった。所長も大満足の様子で、もう独り占めしたいらしくて、誰にも見せたくないなんて言いだした。おいおい、そんな了見の狭いことでどうするの。そもそも何のために家を造ったのか思い出してよ。だけど気持ちは分からなくもない。先日奏庵に行ったら、散歩途中のご夫婦らしき人達が立ち止まって、ジロジロと眺めていた。しだいに庭の方まで入ってきたので、ちょっと不安になってデッキに出るとご主人の方が近づいて来て、「いい家ですねえ。この辺りでは一番ですよ。」と言う。嬉しく思いながらも私は、『この辺りだけではなく、浜松で、いやいや日本で一番ですよ。』と心の中で叫んでいた。

 これも奏庵の建築に携わってくれた職人さん達のおかげだ。皆さんちょくちょく顔を出して、様子を見に来てくれた。休日返上で遅くまで仕事をしてくれた人もいる。左官のMさんも張り切りすぎたのか、手が震えると言って湿布をしていた。所長の細かい指示に、さぞやストレスが溜まったことだろう。だけどありがたいことに、奏庵を眺めながら皆な口を揃えて、「いい家になったなあ」と言ってくれる。棟梁のMさんも毎日、「難しい、難しい」と口癖のように連発していたが、今では仕事に満足しているようでニコニコしている。思い切ってMさんに頼んでよかった。私はいろんな家を見学してきたけど、今までにこんな家は見たことがない。こう言ったら可笑しいかもしれないけれども、この家にはキレがある。何ともいえない趣きがある。そして梁や柱や壁を見る度に職人さん達の奏庵に対する想いが伝わってくる。着工からその歩みをつぶさに見てきたせいもあるだろう。皆さん忙しいスケジュールを調整して仕事に入ってくれた。(こんな不況なのに引く手あまたなのだ。もちろん腕もそれなりに良いわけだけど、手に職があるということは強いなぁ。)本当に感謝の気持ちで一杯だ。こんな奏庵を傷つけたりしたら申し訳ない。気を付けて住んでいきたいと思う。愛猫のベルにも十分に言い聞かせるつもりだ。
 
今回、自邸を建てることで、施主の立場を味わうことが出来た。『家は3度建てなければ満足できない』というようなCMがTVで流されていたけど、実際には1度建てるのだって大変。それを3度もなんて冷静に考えればとんでもない。それゆえ、どうせ建てるならとその一度に多くの要望を盛り込みたくなる。だけどその挙句には建築費用が膨らんでしまう。そんな施主の皆さんの心理がよ〜く理解できた。私達も住宅に対するこだわりは多々あったが、予算は限られていた。要望と予算との間で葛藤の日々が続く。そこで所長の設計コンセプトにある『暮らし方にこだわる』ということををじっくり考えてみた。私はこの奏庵でどんな生活がしたいのだろう。そうしたら『心地の良い空間のなかで、音楽に親しみながら暮らしていきたい』ということが頭の中に浮かんできた。この『遠江・奏庵』は、私のそんな想いを受けて、所長が命名してくれたものだ。

 なぜかこの奏庵の完成を待ち望んでいる人は多い。私の友人も、「建築家の設計した家って興味あるぅ。絶対遊びに行くから。」と期待顔だ。ある工務店では『村松篤の建築を見学するツアー』なるものを企画しているという噂を聞いた。ほんとかなあ。一体どんな家を想像してくれているのだろう。あまり豪華な家を想像されても困るなあ(してないと思うけど)。ご厚意でグランドピアノを貸してくださるピアノのN先生も楽しみにされているようだ。先生は生徒さんにも話されているみたいで、皆さんにお会いするとその話になる。この奏庵ついては、近況報告のオープンハウスの項目のところで述べさせてもらったので、ここでは詳しくは触れないけど、ひとこと言わせていただくとコンパクトだけど所長の建築におけるコンセプトが至る所に盛り込まれた中身の濃い内容になっている。湖のほとり(近く)には、そんな庵が自然に囲まれながらひっそりと佇んでいる。絶対に一見の価値はあると思う。
  
  

  遠江・奏庵5

 風薫る5月。奏庵の工事も佳境にはいったようだ。早いもので上棟から3ヶ月が経とうとしている。振り返るとその時の様子は今でも印象深い。前日から始められていた木材の組立は、段取り良く組み上がり、その日のうちには外観が姿を現していた。柔らかな屋根の曲線が美しかった。奏庵の特徴のひとつに、このむくり屋根があげられる。むくり屋根とは京都の町屋に多く見られる屋根の形状で、全体が丸みを帯びている。この屋根のおかげで京都の雨は優しい(この屋根が雨を優しく受け止めるから)と何かの本で読んだ事があるような気がするが、この柔らかな曲線ははんなりと優しい印象を与えてくれる。しかしこのむくり屋根は技術的に非常に難しい。直角の柱と曲線の梁を組み合わせなければならないからだ。その日のクライマックス、9メートルの登り梁がレッカーで上げられた。棟梁の指揮の下、大工さん全員で取り組んでいて、傍で見ていてもすごく難しそう。本当に組みあがるのだろうかと少し心配になって見つめていた。それがピタッと納まった。一分の隙間もなく組み上がったのだ。さすがはプロの集団だ。

 所長のテーマのひとつに自然との融合がある。この屋根はその実現のためにも、とても重要な位置を占めている。所長は開口部(窓等)をすべて閉めきった状態でも、柔らかな陽射しが部屋の中に射しこんでくるような状態を保てないものだろうかと以前から考えていた。そして今回そんな仕掛けをこの奏庵の屋根に施している。この考えは建築雑誌に載っていたル・コルビュジェのロンシャンの礼拝堂(ノートル・ダム・デュ・オー)の影響も受けているようだ。だけどこの礼拝堂はちょっと不便な場所にあるため、未だ見学の機会には恵まれていない。建築家の安藤忠雄さんによれば、「中に入ったとたん、壁のあちこちに穿たれた大小さまざまな窓から、光が襲いかかってきました。色ガラスを通して床に激しく落ちてくる赤、黄、緑の暴力的な光の洪水に、目が眩み、立っていることができないほどでした。それまで日本で暮らしてきてこのように上方より降り注ぐ光、それも色のついた光など、体験したことがありません。(中略)それは建築家の計算というよりも、芸術家の無意識の掌から奇跡のように生まれた光の彫刻かと私には思えたのです。(芸術新潮)」とある。機会があったら私も是非見学したい。

 最近の住宅は高気密・高断熱が重視されている。住宅会社の広告のなかにも高気密・高断熱という文字が目につく。断熱材に硬質ウレタンフォーム系断熱ボードを使った外断熱工法を採用したりして、断熱性を高めているようだ。高断熱化の促進は、高気密化も伴っている。確かに気密性・断熱性が悪いと冷暖房の効きが悪く、大量のエネルギーを消費するので光熱費がかかる。エネルギーの無駄使いは、地球環境にも悪い影響を及ぼす。だけど住宅の性能を高めることで、日本の住宅は本来の良さを失いつつあるように思う。日本の住宅はもっと自然と親しんできた。縁側は中と外とをつなぐ役割を負っていたはずだ。住宅の外と中との隔絶化はこのまま進んでいくのだろうか。

 私は(感覚的なことなんだけれども)、この言葉に息苦しさを感じてしまう。北海道とかの寒冷地ならば断熱性・気密性は当然考えなければいけないのかもしれない。北海道には外断熱工法の家が多い。だけど、温暖な浜松にまでそのようなシステムは必要なのだろうか。確かに昔の家は寒かった。私の実家も寒かった。私の部屋は特に寒く、しんしんと冷えていた。手はかじかみ、私はいつもコタツに潜り込んでいた。不思議なことに、私以外の家族は寒さに強いのか平気な顔をして、寒がりな私に冷ややかな目線を送ってきた。(普通の感覚の人だったら絶対寒いと感じたはずだ。)オイルショック以降、高騰した石油(エネルギー)を効率良く使うために、断熱材が使われるようになり、現在では住宅用建材の研究も進んで、家の性能は確実に向上している。私は快適に暮らせる最低限の性能を維持できる家ならば満足なんだけどなぁ。
  
  

遠江・奏庵4

 自然素材にこだわる所長は地元の杉材を多く使ってきた。私も杉材の空間を何軒も見学させてもらっている。だから杉材の持つ渋い古民家の雰囲気、落ち着いた空間の様子はよく分かっている。だけど奏庵には、”暴れ天龍”の異名をいただく地元天龍杉は少し荒すぎるらしい。だから今回は松材を使いたいというのだ。松は杉と比べて、木材自体が明るくて華やか、そして艶っぽいのだそうだ。う〜ん、確かに奏庵にはそんな空間がよく似合うのだろうと私も思った。だけど問題は価格だ。松の市場価格は杉よりも2〜3割は高くなるという。ただでさえ予算が厳しいのにどうするのだろう。安い松材も探せばどこかにあるのかもしれないが、できれば質の良い材料を揃えたいのだ。虫のいいのは十分承知しているが、どこかに安くて質の良い松材はないだろうか。そんな時タイミングよく連絡をくれたのがTさんだった。

 Tさんは耐震金具を取扱っている会社で働いている。彼と知合ったのは7年前、雑誌に掲載されていたK社の広告を見て、例のごとく資料請求した所長の前に現れたのだ。しかしその時の彼は建築については素人同然、所長の質問に対し、反対に質問を返してくるという始末。なんと彼はこの仕事に就く前には、長距離の運転手をしていたという異色の経歴の持ち主だった。予算がないのか宿泊は車の中という彼の言葉についつい食事をおごってしまったようだ。そんな彼も営業で全国を飛び回っている内に、各地の木材についての情報に詳しくなっていた。耐震金具を取り扱うためにはまず木材のことを知らなければならないと気が付いたという。生来物事を追及しなければ気がすまない性分らしいのだ。しかし反対に追求し尽くしてしまうと飽きてしまう面も持ち合わせているようなのだが、建築は奥深いとみえ未だに追求は続いている。

 そんな彼が、「松使いませんか〜。岡山にいい松があるんですわ。」という情報を持ってきてくれた。渡りに船とはこの事よ。所長も期待を胸に一路岡山へ向かった。Tさんの案内で製材所を訪ね、そこで扱っている木材やそれらを使って実際建てられた住宅を見学させてもらった。質の良い木材を見て納得した所長は、持参した『遠江・奏庵』の構造模型を見せて熱く語ったようだ。S製材のSさん、Y木材のYさんはその熱意にほだされ、「この家の材料を集められるのはうちしかありませんわ。」と木材を揃えることを承諾してくれたという。岡山から木材が搬入される日、所長はまるで子供が遠足に行く前のように気が高ぶってよく眠れなかったようだ。前日から降り続いている雨も気になっていた。出来れば木材を濡らしたくない。だけどTさんが紹介してくれた運転手さんは、木材をしっかりとシートで包んでくれていた。それに積み下ろしの時にはピタッと雨も止んでくれた。(何かが守ってくれているようなそんな不思議な気がするなぁ。)もちろん搬入された木材はとても満足のいくものだった。

 Tさんからメールが届いた。要約すると『遠江・奏庵が出来あがるのが凄く楽しみ。TさんとYさんとSさんで、自分たちが送り出した木材を見ながら、村松さんを囲んで話しをするのが夢である。毎回3人で集まるとその話になる。』というものだ。先日現場を見てきたら、内部造作が進み、とても落ち着いた空間が出来上がっていた。天井板が綺麗に貼られ、登り梁の表情が趣きを増していた。やっぱり松材は潤いがある。奏庵によく似合っていた。搬入された木材は、その材の一番良い表情が生かされるようにと棟梁とよく吟味して使ってある。奏庵のために材料をそろえてくれたTさん、Yさん、Sさんはきっと満足してくれるのではないだろうか。それらを眺めながら心ゆくまで語り合ってもらいたいものだ。
  
  

 遠江・奏庵3

 3年前の秋、土地探しを始めた。毎日の広告に必ず目を通し情報誌を買い求め、休日になると土地を求めて奔走する。だけど、どの土地も『帯に短し、襷に長し』でしっくりしない。もう面倒くさくなってきた。それでもと気を取り直して、知合いの不動産屋さんに行ってみた。S不動産のTさんが『村松さん、ちょうど良い物件がある。絶対良いから見ておいでよ』という。常套句にしては力が入っていたので、見に行くことにした。そんなに期待をしていた訳ではなかったが、な〜んとその土地にひとめぼれ。ちょっと大げさかもしれないがやっと巡り会えたっていう運命の導きすら感じた。ああ、これでやっと設計を始められると私の心は小躍りを始めた。しかしそうは問屋が卸さない。所長はやっぱりお客さん優先のようだ。村松篤に期待して依頼してきてくれたお客さんの想いに応えなければならない。それはよく分かっている。だけど、だけどよ、どんどん先送りされていくのだ。目の前にぶら下げられたにんじんを食べようとして追っかけるがいっこうに食することができない。まるで馬にんじんじゃない。だんだん住宅建築に対する意欲が薄れていく。日頃の仕事に対する気力もなくなってきた。ムカムカして、『こんなことならば土地なんか購入しなければよかったよ。』とポツリと呟いた。その言葉にまずいと思ったのか、やっと本腰を入れてくれた。

 だけどあくまでもお客さんの仕事の合間を縫って進めていくので、なかなか時間がとれない。昨年は元旦からの打ち合わせだ。こんな時建築家がひとり家にいるっていうのは果たして良いのか、悪いのか。正月気分に酔っている世間の喧騒から離れ、部屋に缶詰になりながら設計の打ち合わせは続く。TVでは箱根駅伝が中継されていた。私はお正月に行なわれるこの駅伝を楽しみにしている。こんな言い方をしたら失礼かもしれないが、展開がとてもドラマティックなのだ。有力選手のアクシデントによる大ブレーキ、過酷な山登り、復路での逆転。特に中継地点では目が離せない。繰上げスタートが迫るなかチームメイトを最後まで信じて待っている選手、くたくたになって走ってきたのに襷を渡すべき相手が見当たらず、母校の襷を渡せなかったことを悔やみ涙する選手、そんな選手の気持ちが画面から伝わってくる。自分だけのためではなく、チームメイトのため、母校のため、そんな想いが胸を打つのかなあ。そんな選手の頑張りに後押しされ、実施設計は進んでいった。

 『家は大工と建具と左官だ』と所長は口癖のように言う。つまり家を建てる場合は、腕のいい大工さんと建具職人そして左官職人の仕事がとても重要であるということ。もちろん建築は総合的なものであるから他の職人さん達の力を無視することは出来ない。屋根をいかに美しく葺くか、家と調和した庭造りをするか等も職人さんの腕や感性に左右される。だけどやっぱり大工さんの腕の良し悪しは住宅の要(かなめ)なのだそうだ。今回奏庵を建築することになり、所長は悩んでいた。『村松、おまえの家は俺が造ってやるからな。』といってくれたH棟梁はもういない。所長は以前から自邸の建築を頼むのは棟梁しかいないと心に決めていたようだ。そんな折、棟梁のおかみさんから一本の電話がかかってきた。まるで亡くなった棟梁がそんな所長を何処からか見てくれているかのように・・・。やはりH建築にお願いしてみよう。H建築には棟梁の腕を引き継いだお弟子さん達がいる。きっとそれが棟梁の意思に違いない。

 早速図面と模型をもってH建築を訪ねた。棟梁のもとで長年仕事を続けてきたMさんが、わざわざ現場を抜けてきてくれた。Mさんは『現代民家・宇』をはじめ『丘の上の家』、『街の語りべになる家』と所長の設計した住宅に携わってくれていて、所長の知る限りでは浜松で1番といっていいくらいの腕を持っているそうだ。ただ所長の設計した住宅をやると必ず体調を壊してしまうというデリケートな神経の持ち主。やはりそれくらいでないと所長の繊細な図面を具現化することは出来ないのかもしれない。Mさんは昔のことが頭をよぎったのか少し不安そうな顔をした。私が「所長も以前のような気負いがなくなって枯れてきたから大丈夫。今では職人泣かせの仕事はさせないよ。」と不安を取り除こうとつとめたが、目がちょっと疑っていた。それでも机の上の模型と製本された図面は気になる様子、職人の魂が疼き始めていたのだろう。今ではとっても生き生きと仕事をしている。
 
  

  遠江・奏庵2

 私はホームページを作成していてあることに気が付いた。それは作品集に顕著に現れている。作品集1(1998年〜2002年完成)と作品集2(1980年〜1997年完成)とでは住宅の雰囲気が変化しているように思うのだ。作品集2はバブルにむかう時期及びバブルの頃を背景としているので、住宅にある程度の資金をかけられる依頼主が多かったのだろう。それに見合った住宅が多く建築されているように思う。それに対し作品集1は作品集2に比べると少しカジュアルになっているような気がする。(一部の住宅は除く)これはバブルが弾けたからなのだろうか。う〜ん、それだけではないような気がする。

 最近ホームページを通してアクセスしてくれるお客さんが増えてきたが、設計事務所を訪ねることって結構一大決心が必要なようだ。相変わらず敷居が高いのかなぁ。お会する方々皆一様に緊張している。顔が強張っていたり、咳き込んだり、なかには指先が震えている。後日いただくメールには、緊張してあまり話ができなかった旨が切々と綴られていたりする。所長は気さくな人なんだけどな。ホームページの写真もそんな感じで写っていると思うんだけど・・・。でも話を聞いていると住宅(住環境)に対する意識は高い。すっごく勉強している感じ。住居に対してただ住めればいいということではなく、こんな家に住みたいという具体的な考えがあるみたい。どちらかというと企画された住宅よりも、自分たちに合った住宅を望んでいるように思う。ただ以前に比べると依頼主の年令は低下している。2世帯住宅の希望も増えている。そのため予算は気になるようだ。

 浜松の展示場に『現代民家・宇』が建っている。モデルハウスなのでいつでも(正確にいうと定休日以外)見学していただくことができる。村松篤の設計した空間を充分に堪能していただくことは可能だ。だけどこの住宅は展示場ということでスケールが大きく、使っている材料も良い。(マグロならば中トロっていう感じみたい)長い間所長と共にいろんな建物を見学してきて感じたんだけど、質の良い無垢の木の空間って本当に美しい。光り輝いて筆舌に尽くしがたい空間を味わったこともある。この住宅も美しくそのうえ上品で落ち着いた雰囲気が漂っている。住宅をランク付けするのはあまり好きではないが、あえて分類するとこのモデルハウスは高級な部類にはいるだろう。坪単価だってゆうに100万を超えている。バブルの頃はこのまま建てて欲しいという申し出もあったようだけど、この不景気な時代、そこまではと躊躇される方がほとんどだろう。残念ながらモデルハウスは経済的な面では参考にはならない。

 そこで所長の設計した住宅に実際住んでいるお施主さんに連絡をとることになる。有難いことに皆さん快く承諾してくれる。今でも交流が続いているお客さんも多く、先日催したオープンハウスにも駆けつけてくれた。皆さん未だに住宅に対する興味は尽きないようだ。「住宅を見せていただけないでしょうか」というこちらの申し出に、「部屋が綺麗になるから、時々見せてよ」と能天気に(気をつかってなのかもしれない)笑うご主人もいらっしゃるけど、奥さんは大変なのではないかと思う。私としてはいつも恐縮してしまう。だからモデルハウス的な意味あいもあって、早く自邸を建てなければと気持ちは焦っていたのだ。自邸ならば気を使わないで、お客さんにも見ていただくことができる。それに本来、建築家自らがこだわって建てた住宅を見ていただくということが、筋ってものかもしれない。

追伸
上記のモデルハウスですが、残念ながら諸事情により今は見学できません。
 
 

  遠江・奏庵1

 厚く重なった雲の上から初日の出が姿をあらわしました。ここ浜松では風もほとんどなく、陽春のうららかな陽射しに包まれた穏やかなお正月です。長く続いている経済不況にも明るい陽射しが差込まれることを期待してしまいます。(新年なので折り目を正してみました)今年もコラムにお付合いいただきありがとうございます。このコラム、ホームページになにか特徴があった方がいいかなと、ほとんど思いつきで書き始めたものなのですが、皆さんのおかげで長く続けられることができて感謝しております。幼少の頃より文学に親しみ、文学といっても父親が購入してくれた『世界童話全集』とか『世界名作全集』というものなんだけど・・・。その後一途に文学少女の道をたどり、純文学を読破していった私。今でもその余韻を引き摺ってミステリーにどっぷりはまっている。活字中毒ではないかしらと怖れながらも、活字から遠ざかると無性に活字が恋しくなり、飢えたように本屋で文庫本をあさってしまう。(単行本は高いのであまり見ないようにしている)こんなに活字に親しんでいる私だから何とかなるだろうと軽い気持ちで始めたんだけど、これが甘かった。読むと書くとでは大違いだ。

 毎月更新していこうと自己に課した誓いのため、月末になると部屋に閉じこもり机に向う日々。毎回何を書こうかと悪戦苦闘している。編集者の督促を受けながら、原稿を書き綴っている作家ってきつい仕事なんだなあ。彼らの気持ちがちょっと分かったような気がする。でも彼らには才能があるからいいのよ。知識も才能も乏しい私は白紙のレポート用紙といつまでもにらめっこをしている。いっそ止めてしまおうかしらとも思うんだけど、ホームページを見て事務所を訪ねてくれるお客さんに、『コラム読んでますよ』『面白いですね』なんて言われると、「そうですかぁ」とまんざらでもなく、顔の筋肉が緩んでしまう。やっぱりこれは私の使命なのかもしれないとまた勘違いが始まるのだ。あまり私をおだてないで欲しい。私はおだてに弱いようだ。誉められると期待に応えなければいけないと頑張ってしまう。こんな悲しい性(さが)のため今日も机に向かっている。

 だけど今年は題材が決まっているので、ちょっと楽かもしれない。そう『遠江・奏庵』、この建物は建築中のページにひっそりと載せられていた。なかなか写真で紹介されないため、変に思った方もいらしたみたいだ。(実際どんなお施主さんなんですかという質問も寄せられた)実はこの建物何を隠そう私共の自邸なのであります。(この自邸という言葉は所長はあまり好きではないみたいなんだけど、他に書きようがないじゃない)別に秘密にしていた訳ではないんだけど、写真を載せるのもなんか気恥ずかしい気がして今まで差し控えてきました。それに設計もなかなか進展しなくて、着工の目途もつかなかったのです。

 それが昨年12月某日、先日までの寒さが嘘のように和らぎ、よく晴れあがった小春日和に地鎮祭をとりおこなうことができたのです。(やっぱり普段の行ないがものをいうのかしら)敷地の中には四方を笹竹で囲まれ、野菜、果物、乾物、御酒が供えられている祭壇が設けられていた。やっとここまで来たんだなあと感慨深く眺めてしまった。儀式については不慣れなため少し心配していたんだけど、丁寧な神主さんでそれぞれの儀式について説明してくれる。儀式の意味が分かると、神様がこの土地を守ってくれるんだなあという気持ちが不思議と湧いてきた。所長も『今日始めて意味が分かった』と納得顔。今まで何回も地鎮祭に出ているのに、いったい何だったんだろう。まあ、これでやっと工事に取りかかれるのだ。そんな訳で今年はこの『奏庵』について書かせていただこうと思います。奏庵を建てるに至った動機、所長のこだわり、私のこだわり、そして奏庵建築に関わってくださった人達のことについて綴っていきたいと思います。

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