中国料理のメニューは漢字で書かれているので、ある程度予想はできたが、Cさんが一緒なのでお任せすることにした。しかし、円卓に次々と運ばれてくる料理は私の予想とは異なり、なんだか酒の肴のようなものばかり。これって気のせいかしら?Cさんはお酒が好きなようだ。ビール片手に、『明日は周荘に行きます。昔の中国の田舎の面影が残っているところですよ。』と気分は上々。そんなCさんの案内で、私達は上海の郊外、西に約60キロの周荘を目指すこととなった。
この日の運転手さんもスピード狂。私達は高層ビルはびこる上海に別れを告げ、郊外の景色を楽しみながらも、昼前には周荘に着くことが出来た。コンクリートの照り返しが眩しい。車から降りると、ムッとした空気に包まれた。休日と重なったこともあり、観光客の姿も多い。なんだかますます暑さが増してきたような感じがする。歩くだけで汗が吹きだし、化粧はきれいに流れてしまって、まるで湯上り状態。遊覧船に乗っている人達は、とても涼しそうに見えた。この村は、日本でいう柳川のような水郷村で、村のなかを運河が流れ、観光客相手に遊覧船が往来している。まるで東洋のベニスといった感じかな。柳の木々が川べりに生い茂っていて、とても風情がある。今度来る時は季節を選びたい。
遊覧船に乗りたいと、はやる気持ちを抑えながら、まずは住宅見学をする。この村の住宅のうち6割は、明清時代に建てられたという。最初に訪ねた張家は、6つの中庭と約70の部屋を持つ明代の住宅。たぶん豪商の館だったんだろう。表通りに面した部屋は、土間にいきなり応接セットのようなものが置かれていて、少し違和感を覚えた。でも土間や剥きだしの梁の感じは、どことなく日本の民家を思わせて懐かしい。縁側のような場所があったので、腰を下ろして一休みする。何処からともなく風が流れてきて気持ちがいい。窓の外には狭い路地、それに付随して小さな坪庭があった。どうもそんな構造(条件)が、煙突効果となり、風の流れを生じさせているらしい。中国の人の知恵なのかなあ?中庭を挟んだ次の間は、中庭からの光が射し込んでいる。その光は印象派の絵のように、柔らかく繊細だ。よく見ると窓が細かな格子模様になっていた。中国の人々の、このようなきめ細かさは私には意外だった。
建築ラッシュの上海では、大陸のおおらかさが目立っていた。Cさんからも『中国人は、空間をつくるけど、空間を楽しむという意識はない。』と聞いていた。でも昔の中国の建築は繊細で、日本の建築はそんな中国の影響を多分に受けている。よく考えてみると高度成長期の日本だって空間を楽しむゆとりなんてなかっただろう。家の多くは大工さんが考えて造っていた。一概には言えないけれど大工さんがかく図面は、どちらかというと箱づくりに重点がおかれているように思う。そして建築家(設計士)に設計を依頼するなんてことは、一部の人に限られていた。事実、私の周りには居なかった。でも、ここ数年を考えた場合、『予算のことを気にしながらも、設計を頼みたい。』というご家族が増えてきている。確実に住居に対する意識が変化している。もしかしたら、数年先には、中国人から設計の依頼がくるかもしれない。ちょっと中国語の勉強をしてみようかな!!