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静岡県浜松市の設計事務所 村松篤設計事務所

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〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

 ☆この曲は月夜のピアノのAIさんの『忘れえぬ想い』という曲です。 
 
 

 一枚の絵

 のんびりしていた休日の午後、電話が鳴った。「見てきたわよ。」とやや興奮した声がする。ピアノのN先生だ。主人が設計したM社のモデルハウスをわざわざ見学に行ってくれたらしい。「建物に気品がある。ピアノでいえば、スタンウエイよ。」と最上級の誉め言葉をいただいた。すっかり主人のファンになってくれたようだ。

 昨年、このモデルハウスも13年になるから、そろそろ取り壊そうという話がもちあがった。このままず〜と建っているものと思っていたので、『そうじゃないんだ。』と少しさびしい気持ちになった。部屋に缶詰になりながら、机に向かっていた主人の姿を思い出した。モデルハウスオープンにむけて、突貫工事をしてくれた職人さんたちのことを思った。そして、このモデルハウスのために、関わってくれた人たちのことが浮かんできて、しばらく感傷にふけっていたが、どういう訳か延期になり、今でも元気な姿を見せてくれている。先日お会いした建築家の先生が、「庭がよくなっていたよ。」とおっしゃったので、近いうちに会いに行こうと思っている。私は和室の奥にある坪庭が大好きなのだ。

 主人は、建物を考えるとき、庭を切り離して考えることはしない。どんなに狭い敷地でも、坪庭だったり、または、周りの風景をお借りする借景という形をとってでさえ、庭を取り入れている。なぜそんなにこだわるのか不思議に思っていたので、訊いたことがある。それには、O先生との出会いがあったのだ。

 もう十数年前になるだろうか、O先生が設計された住宅を見学に行った時、部屋に素敵な絵が掛かっていた。しかし、よく見てみると、それは絵ではなく、窓から見える風景だったのには驚かされたという。「窓は、必要なところに在ればいいんだよ。」というO先生のお言葉に、目から鱗が落ちたという。住宅は独自で存在するものではない。環境(自然)と共存してはじめて意味を持ってくる。そんなことを考えるきっかけになり、建築というものを改めて考え直したようだ。その日から、彼のこだわりの設計人生が始まった。


  魔法のタクト

 小澤征爾指揮によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、浜松にやってきた。4年ぶりの再会に期待と懐かしさが入り混じる。開演1時間前に駐車場に着いたのに、すでに満車。係りの人が、両手でバツマークをしている。「そんな〜、嘘でしょう」と思ったが、仕方がないので少し離れた所に停めることにした。軽く食事を摂ったので、会場に着いたのは、開演10分前。ホールに入ると,満員御礼。人々の熱気で満ち溢れていた。4階サイドの席までも人が座っていて、観客の期待のほどがうかがえる。

 オーケストラに続いて、小澤さんが登場。お久しぶりと心の中で叫んだ。タクトが振られ、演奏が始まった。優しくて、やわらかく、それでいて力強い。魔法のタクトによって音が醸しだされていく。包み込まれるような心地よさに、いつの間にか音の波間を漂いつづけていた。それにしても、ウィーンフィルの猛者たちを相手に孤軍奮闘、髪を振り乱している小澤さんを見ていると、指揮者ってつくづく体力勝負、体が資本だなあって思ってしまう。小澤さんって、一体いくつなんだろう?

 演奏が終わるやいなや拍手が起こった。割れんばかりの拍手。小澤さんが舞台のそでに引っ込んでも、拍手は鳴り止まず、誰も席を立とうとしない。一段と拍手の音が大きくなるばかり。アンコールを期待して、私も拍手を続けた。やがて、小澤さんと共に数人のメンバーが加わり、アンコールが始まった。軽快なリズム、楽しそうに演奏するオーケストラ。あっという間に2曲が終わった。まだ物足りなくて、拍手を続けていたが、オーケストラも引き上げ始め、ホールのあかりが点いてしまった。残念、もっと聴いていたかったのに。でも、4年前よりも感動し、心は満ち足りていた。聞くところによると、小澤さんは、『まだまだ勉強しなければならない。』と言って勉強を続けているという。そんな謙虚さが私は好きだし、音楽にもあらわれてくるのだろう。

 渋滞でなかなか動かない帰りの車の中、音楽と建築って似ているなあと感じた。音楽が、音を構築していくものだとすれば、建築は、空間を構築していく。同じ楽譜なのに、解釈によって音楽が変わってくるように、平面図は同じでも、空間の構築の仕方によって、建物の印象は変わってくる。それに携わる者の感性によるところが大きいようだ。主人の感性に共感し、設計を依頼してくるお客さんの期待にたがわないように、常に感性に磨きをかけてもらいたい。


  不思議な建物

 シドニーオリンピックのマラソンで金メダルをとった高橋尚子さんは、走ることが好きで好きでたまらないというが、主人は、建築が好きで好きでたまらないらしい。1日中、図面に向っていたって飽きないし、休日だって建築雑誌を読んでいる。以前勤めていた会社を辞めたのだって、立場上、設計に専念することができなくなったからで、まるでおもちゃを取り上げられた子供のように毎日がつまらなさそうだった。ある日、「辞めていいかな。」とポツリと言うから、「一度だけの人生なんだから、好きにすれば」と理解のある返事をしたら、辞めてしまった。本当は経済的にとても不安だったのに・・・。

 新婚旅行だって、主人にとっては建築ツアーだったようだ。スペインのバルセロナという街に行ったとき、どうしてもカサ・ミラを見たいと言う。カサ・ミラとは、建築家ガウディが設計したミラの家と呼ばれる6階建ての集合住宅なのだが、今回のコースには、はいっていなかった。幸い泊まったホテルからそう遠くないところにあることが判ったので、早起きして行ってみようということになった。翌日、薄暗い道を小走りで向かう。『なんで私まで一緒に走らなければならないのかなあ』と一瞬頭の中をよぎった。横を走る主人は、とっても嬉しそう。『幸せな人だなあ』とつくづく思った。


 カサ・ミラは無機質な建物のなかで、異彩を放って建っていた。造形に起因するのか、まるで魂が宿っているかのような生命力を感じた。一体こんな発想はどこからくるのだろうか? 地下の駐車場に入ってみた。海底深くに沈んでいくような感覚に包み込まれた。不思議な建物だった。

なんとかバスの集合時間に間に合ったが、もちろん朝食抜きだ。その日は、ガウディ作のサグラダ・ファミリア(聖家族教会)を見学することになっていた。有名な建築なので、テレビや雑誌で知っていたが、実際に教会と対面したときの驚きは、今でも鮮明に蘇ってくる。天に向かってそびえ建つ教会の荘厳な姿に圧倒されて、しばらく身動きができなかった。その姿は建築というよりも、むしろ芸術といっていい程に昇華されていた。たぶん私達が生きている間に教会は完成しないだろう。日本の資本がはいり、日本式にてきぱきと造っていけば、ひょとしたらそれは可能かもしれない。だけど、亡くなるその日までこの教会に住み、設計にあたったガウディはそれを拒否するだろうし、教会自身も拒否するだろう。そんな意志を持っているような気さえする。私は想った。この教会は、悠久の時間の流れのなかで、構築されていくべきなんだろうと・・・。


 自邸の夢

 私が生まれ育った家は、商売をしている訳でもないのに、交通量の激しい国道沿いにある。裏は昔、電車が走っていたこともあり、地元の人達の間では抜け道として利用されている。そのうえ屋根の上までも、近くに自衛隊の基地があるため、飛行機が爆音を轟かせているのだ。今思えば住むための環境ではない。周りがうるさいので、自然とテレビの音量は大きくなる。話し声も大きくなる。耳は遠くなったような気がする。唯一の利点は、バス停が近かったぐらいかな。そのため私は閑静な住宅地という言葉に弱い。あこがれているのだ。自邸はそんな場所がいいな。

 最近になって、やっと土地探しに本腰が入った。知り合いの不動産屋さんのお勧めで、見るだけのつもりで行った土地を、二人ともすごく気に入ってしまった。さっそく、その土地をモデルに平面図を書いてみた。平面図といっても、そんな本格的なものではないが、私の曽祖父が建築家だったようで、私にもその遺伝子が受け継がれているのか、なんとか書くことができるのだ。私が主人と結婚した時、その偶然に祖母が喜んでくれた。そんな祖母のためにも早く家を建てて、和室でゆっくり寛いで貰いたいなと思っていたが、今年の春に永眠してしまった。人生とは思い通りにいかないものだ。

 平面図が完成し、その完成度の高さに一人悦に入り、一日中図面を見てニタニタしていた。よく事務所に打ち合わせに来る御夫婦のなかには、顔いっぱいに喜びを表している人達がいるが、その気持ちがよく分かった。出張から主人が戻ったので、さっそく図面を見てもらう。愛弟子の図面をしげしげと見て「よく考えたネ」とお褒めの言葉。『やっぱりあんたは見る目があるよ』と心の中で頷く。今度は主人から差し出された図面を、私がチェックする。『う〜んやっぱり凄い。よくまあこんな発想できるよな。さすがプロだね。』と彼に対して尊敬のまなざしを送る。早く住みたいな、こんな家。でもお金がかかりそうだよ。もう少し練り直してもらわなければ・・・・。檜風呂は、残念だけどあきらめよう。


  建築の原風景

 今年の夏は、暑かった。本当にしんどい夏だった。『もういいかげんにしてよ』と叫んだのが利いたのか、やっと秋風が吹き始めた某日、お客様からの申し出があり、住宅を案内して廻った。帰りの車の中で、奥さんが「みんな幸せそうな顔をしていたね。」と言った。普段顔を会わせていたりして、特に何も感じてはいなかったが、そういえば、主人が設計した家に住んで離婚したという話を聞いた事がない。みんなそれなりに幸せな生活を送っているようだ。住環境が幸せの一端を担っているとしたら嬉しい限りである。

 事務所に戻り、しばらく話し合った後で、ご主人が恐縮しながらレポート用紙のようなものを取り出した。住宅に対する想い(期待)を綴った文章が書き溜められていた。文章の所々にご主人の真剣な想いが溢れていた。私が興味深く思ったのは、子供の頃の記憶(環境)が綴られている個所だった。実は、主人のなかにもそんな記憶があり、彼の設計に大きな影響を与えているという。

 彼は子供の頃、両親に連れられて父親の実家である森町の旧家で夏休みを過ごしている。森町は、静岡県の西部、袋井市の北にあリ、街の中心を川が流れ、三方を山に囲まれた風光明媚な所である。また、白壁の土蔵や神社仏閣が多く、歴史の街としての趣きももっている。そして、江戸時代に「火伏せの神」として秋葉山信仰が盛んになると、街道の宿場町として賑わっていた街でもある。そんな街での暮らしは、社宅に住んでいた彼にとってみずみずしい体験であったようだ。旧家の引き戸を開け、家の中に入ったときの土間のひんやりした感じ、縁側で聴いた雨の音等が彼の記憶の中に色濃く刻まれたという。

 彼の建築の原風景なるものは、どっしりと大地に根差した民家の持つ安定感、たおやかな屋根の曲線、大屋根の下で暮らす安心感を体験した故郷の風景のなかにある。設計をするうえでいつも頭の片隅にあり、時々降りてくるというのだ。もしかしたら彼の設計した住宅は、彼の記憶を具現化したものなのかもしれない。彼の住宅に入ったときの包み込まれるような感覚、心地よさ、懐かしさは日本人誰もが持っているであろう、日本人としての記憶を呼び起こしてくれているのかもしれない。
 
  

  散歩して想ったこと

 日頃、運動不足を感じていたこともあり、久しぶりに散歩でもしょうかなと街に出た。いつもならば、車で通り過ぎてしまうだけの道だけど、脇道に反れると、思わぬ発見があったりして、子供の頃に戻ったようにワクワクした。

 川添いの道を歩く。春には桜の花が咲き乱れ、私達を楽しませてくれた木々が、今では青々と生い茂っていた。道路を挟んで建ち並ぶ住宅を何とはなしに見ていると、どの家も同じ表情をしている。どこか閉鎖的で、つまらない。玄関の横にある植え込み(前庭)は、単に家としての体裁を整えているだけのように私には思われた。せっかく目の前に、素敵なロケーションがあるのだから、それを利用しない手はないではないか?もっと住むことが楽しくなるんじゃないかな。私もいつの間にか、こんな事を想うようになってしまった。主人の影響は大きい。

 主人の設計に対する想いは、私の設計作法-8つのこだわり-のなかでも紹介しているが、私は主人と知り合うまで、こんな視点で家というものを考えたことはなかった。『土地のポテンシャルを生かす』と言われても、それが何なのって感じ。私にとって家はただの箱、住めればいいだけの存在だったと思う。以前住んでいたアパートは、東向きで、日当たり等の諸条件は決してよくなかったが、地理的に便利だったし、何より家賃が安かったのでそれなりに満足していた。でも、夏はとにかく暑かった。エアコンもすぐには効かなくて、ジワッと汗が吹き出てくる。下の住人は、エアコンがないらしく、時々外で涼んで(?)いた。冬は寒くて,ひと部屋暖まるのが精一杯。廊下は冷凍室のようで、気合を入れないと風呂まで行けなかった。今のマンションに移ってからは、そんな生活が嘘のよう。バルコニーから眺められる自然の景色は、精神的にもくつろぎを与えてくれる。やっぱり『住めればいい家』ではなくて『住んで気持ちのいい家』に住みたいものだ。

 主人は今までに様々な住宅を設計している。よくまあ次々と異なる発想が生まれるものだと感心してしまうが、それだけいろんな家族がいて、いろんなこだわりがあるのだろうな。ところで、自邸はどうなっているのだろうか?私も年齢を重ねるとともに、土が恋しくなってきた。できれば数奇屋風の和風住宅がいいなあと思っている。ぬれ縁・坪庭、なんて素敵な響きだろう。今の季節ならば、湯上りに浴衣に着替え、ぬれ縁で夕涼みなんて粋じゃない。風鈴の音が、涼しさを誘う。なるべくならば、エアコンは使わないで自然の風を楽しみたい。冬は床暖房(OMソーラー)。ぽかぽかした部屋でまどろみたい。お風呂は檜風呂がいいなあ、坪庭を眺めながらお風呂に入るなんて最高じゃない。でもね、主人曰く、「数奇屋は高いよ〜」だもんね。あまりこだわると、建築費用がかさんでしまう。材料の質を落とすしかないかな。でも材料によって質感が変わってしまうし、どこで妥協するかが、難しいところ。こんな悩みを友人にしてみても、皆取り合ってくれない。世間では、映画やドラマの影響で建築家に対して誤解があって、すごくお金持ちだと思われているようだ。それはごく一部の限られた方々であるということを、声を大にして言いたい。
  

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