時が経つのは早いもので、あれからもう9ヶ月にもなる。それぞれの感動はその瞬間に味わうもので、大切に胸の内にしまっておこうと思っていた。が、今になって冷静に振り返り、その時に感じたことを旅日記風に綴るのも悪くない。恥をしのんで私がこの旅を通して五感に響いたことを語りたいと思う。 この旅は、JIA(社団法人日本建築家協会)が企画した、第28回JIA建築事情視察団「ヨーロッパの最新建築を訪ねる旅 PART2〜南仏編〜」というのが,正式名称で、10/29〜11/9の12日間で77の建築物を見るというハードなツアーだった。私はこれまでどちらかといえば食わず嫌いなところがあり、好きな建築には穴があくほどとことんまで見てしまうが、嫌いな建築には見向きもしないでいた。しかも、住宅には興味は湧くがそれ以外の現代建築の多くには、無関心の感じさえあった。(特定の建築家の仕事は除く)。 だが、このツアーに参加するには、それなりの理由があった。ひとつは、近代建築の巨匠 ル・コルビュジェの建築に触れ、また宿泊できるという、設計するものにとっては、またとないチャンスだと感じた点。ふたつめは、安藤忠雄氏ら多くの建築家が今世紀最高の建築のひとつと絶賛した ビルバオ・グッケンハイム美術館をじっくり見学できる点。そして、TOTO出版で好評発売中の「ヨーロッパ建築案内」の著者がツアコンなのだから、さぞかし面白いだろうなと直感したからである。さてさて、実際はどうであったのか、これから始まる旅日記に乞うご期待あれ。
思ったより心地いい目覚めで、朝を迎えた。身支度をして、バイキングの朝食をとるため、ホテル内のレストランに向かう。ここでも決まって和食党の私は、納豆・焼き魚・だし巻き卵・味噌汁をいつもより少し多めに腹の中に入れ、食後のコーヒーをすすりながら、日本の味の余韻に浸っていた。すると、横には体格のいいドイツ人風のカップル、後ろには、東南アジア風のグループ、目の前には、いかにも日本のビジネスマンが、これから出張するぞといった感じで、皆それぞれ食事のひとときをを過ごしている。そうか、ここはもう空港でいえばパスポートチェックを受けたあとに免税店のコーナーがある、日本であっても日本でないゾーンのようなところなのかもしれない。再び緊張感が走るが、その後はホテルから送迎用のバスで空港まで行き、無事に予定通りパリへ向けて旅立った。
翌朝まだ外は薄暗い中、朝食会場へと向かう。フランスといえば何といってもフランスパンとカフェオレこれにチーズ・ヨーグルトがついてもう大満足と思いきや、まだその部屋にはホテルの従業員が見当たらない。少し待った後、ようやくパンとコーヒーだけは出てきたが、あとが続かない。「まあいいか」と店をたつ頃に目玉焼き(1人 3〜4個はあった。)が配られ、これで腹ごしらえは完了。さあ、これからスペインのビルバオに向けて出発だ。
うねる壁、光る壁、動き出しそうな壁,魚のうろこのような壁。これほど壁、すなわち外壁の形容について語れる建築は、そう多くはない。突如として出没したこの巨大美術館は、製鉄都市ビルバオの中でひときわ異彩をはなっている。鉄錆の重苦しい空気を吹き飛ばすかのようなユニークな造形は、来場者の多さも手伝ってか、他をはるかに圧倒しているのだ。アメリカの建築家、フランク・O・ゲーリーの設計によるビルバオ・グッゲンハイム美術館は今世紀最高の建築のひとつに数えられるほどの注目作品で、私もこの作品をひとめ見ようとこのツアーに参加した。遠目に見たとき、建築雑誌の写真どおりの出来ばえ(当たり前のようで、実はそうでないケースも多い)に期待が膨らみ、このアングルから写真を取り捲った。
さて、話をスペインのビルバオに戻そう。グッゲンハイム美術館のすぐ近くになんとも美しい流れるようなデザインの橋が掛かっている。スペインの建築家サンティアゴ・カラトラヴァによる設計で、まるで夢の掛け橋のように光り輝いている。川を横断する橋なら人間だけでなく、一緒に車も通してしまおうとすぐ考える日本とは何もかも違った発想になるのは単なる文化の違いなのか?それともあまりこの橋に車を通す必要性を感じていないからなのか?よく分からないが、この歩道橋はこの場にとてもよく馴染んでいるばかりでなく活力を与えている橋なのだと強く感じた。私のまちにも、こんな素敵な橋があったらいいのになあ。
本日最後の見学は、工事中のビルバオ新空港。ついさきほど見た歩道橋と同じ設計者の自信作で2000年の開港を目指している。その姿は多分遠くからでもあれだと分かるくらいのインパクト、すなわちひとめ見て空港だと思えるような分かりやすいデザインでまとめられていて、とても美しい。歩道橋も空港もそれぞれモチーフは違うものの、どちらも構造体が機能美として、まとめられている点は共通であろう。一日も早い完成が待たれる。 こうして建築探訪は、初日からてんこもりの内容で幕を開けた。沢山見れば、それでいいという訳では決してないが、これまで体験したことのない建築に出会えたことは自分とって少なからず今後の仕事の肥やしになるだろうと感じている。建築は図面や写真・ビデオをいくら見ても結局は理解できない。その場に自分の身を置いてはじめて味わうその空気こそが何よりもの財産になるのではないだろうか。
このスパホテルは温泉療法による長期滞在型の施設として、1992年に建設された。南仏特有の陽射しの強さを調節するために金属製のブリーズソレイユや木製のハーバー建具が設けられている。屋上には緑が植えられ、夜は看板にネオンが灯されるところなどはあたかも南仏パラダイスといった趣さえ感じられる。エントランスに一歩足を踏み入れると、そこは巨大なアトリウム空間が広がっていた。海底をイメージしたといわれるブルーカラーのライトがなんとも艶めかしい。現在、滞在者にはこの色調や金属質がとてもクールに感じられ不評なので、近々リニューアルされる話も出されていた。 道路のアスファルトの黒色をそのままエントランスホールへと連続させて、内と外の境界を隔てないといった配慮は十分に理解できる。また、ワイヤーロープをアトリウムに面した側に通路の手すりとして張りめぐらしたのは、安価に造らなければと設計者が苦労したアイデアなのかもしれない。この他にも、ガラス・金属の階段・ライティング等々にも工夫の跡が・・・・。 しかし、私はこう思う。こういった施設は人間にとって心地いい一番最後の場を提供できるものであるかが、最大のキーポイントなのではないのかと。
それぞれの住宅へと足を運んでみる。パステルピンク調に塗られたフラットルーフの家、これが何軒も続く。太陽光線の強さも手伝ってか、私にはとても眩しく感じられる反面、あまり落ち着いた気分にはなれないでいた。その時,一番奥の家だけが、なぜか鈍い光を放っているように思えた。よく見ればこの家だけ三角の勾配屋根が掛けられ、外装は相当荒れ果てている。人が住んでいる様子はなく、すでに廃墟と化していた。だが、直径200ミリのコンクリート柱や、細い断面のコンクリート製パーゴラ等はどうも当時のものらしく、状態は決してよくないが、まるで何かを語りかけてくるかのような迫力さえ感じられる。聞いてみれば,この家だけがオリジナルの構造体にあとから三角屋根を掛けたものだとのことで、他はすべて当時に似せて建て替えたものらしい。そう言われれば、あの外壁の艶やかさや開口部のアルミサッシュ等は、オリジナルでないのが一目瞭然だし、眩しく感じられたのもきっとこれが要因なんだと、妙に納得せずにはいられないでいた。 約75年前に建てられたこの集合住宅。日本では当の昔に壊され、跡地には何か別のものが建っている現実を考えたとき、建て替えられたとはいえオリジナルのままそっくりその建築を残そうとする国民性の違いに、胸を熱くしていた。
ボルドーの近郊、ぺサックという小さな町に、ル・コルビュジェは先に記したレジュ集合住宅のオーナーの息子から依頼され、当時としてはとても斬新な集合住宅を建てた。今から約70年以上前、日本ならば昭和初期の頃である。屋根だけ見てもフラットルーフあり、穏やかな勾配屋根あり、はたまたヴォールト(湾曲)状の屋根ありと変化に富んでいて面白い。特にヴォールト屋根の下が抜けていて、向こう側の緑が楽しめるといったアイデアはとてもユニークである。PLAN展開も面白い。同じPLANの住戸を180度反転させながらつなげていくことで、表の顔と裏の顔が交互に見えリズムをつくっている。屋外階段や屋上、トップライト、横長水平連続窓の構成も見事で、また面によって色を塗り分けていく色彩の魔力は見る者を強く惹きつけてやまないことだろう。 ここには、たとえ同じPLANであっても同じ家に見えてしまうことは、まずありえない。光の入り方も、朝日が綺麗に差し込む家もあれば、北からの間接光で落ち着いた暮らしを営む家もある。屋上付きの家もあればない家もある。皆一様でない。この一様でない豊かさに、人間としての真の喜びを享受できると私は思うのだが・・・・・。
少し奥に入ると、均整のとれた美しい塔が見えてきた。逆光を浴びながら大地にすくっと建ち上がる姿は、とても80年以上も前のものとは思えない。ル・コルビュジェと名乗る前の処女作だと聞いてまた驚いたのだが、正面入口を見たそのプロポーションの良さはやはり天性のものなのかなあと、その場でひとり頷くしかなかった。 |
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