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村松篤設計事務所は、静岡県の西部、浜松市にあります。

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〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

其の1  プロローグ
南仏プロバンスの風に誘われて、建築の旅に出たのは昨年の秋。
時が経つのは早いもので、あれからもう9ヶ月にもなる。それぞれの感動はその瞬間に味わうもので、大切に胸の内にしまっておこうと思っていた。が、今になって冷静に振り返り、その時に感じたことを旅日記風に綴るのも悪くない。恥をしのんで私がこの旅を通して五感に響いたことを語りたいと思う。

 この旅は、JIA(社団法人日本建築家協会)が企画した、第28回JIA建築事情視察団「ヨーロッパの最新建築を訪ねる旅 PART2〜南仏編〜」というのが,正式名称で、10/29〜11/9の12日間で77の建築物を見るというハードなツアーだった。私はこれまでどちらかといえば食わず嫌いなところがあり、好きな建築には穴があくほどとことんまで見てしまうが、嫌いな建築には見向きもしないでいた。しかも、住宅には興味は湧くがそれ以外の現代建築の多くには、無関心の感じさえあった。(特定の建築家の仕事は除く)。
 だが、このツアーに参加するには、それなりの理由があった。ひとつは、近代建築の巨匠 ル・コルビュジェの建築に触れ、また宿泊できるという、設計するものにとっては、またとないチャンスだと感じた点。ふたつめは、安藤忠雄氏ら多くの建築家が今世紀最高の建築のひとつと絶賛した ビルバオ・グッケンハイム美術館をじっくり見学できる点。そして、TOTO出版で好評発売中の「ヨーロッパ建築案内」の著者がツアコンなのだから、さぞかし面白いだろうなと直感したからである。さてさて、実際はどうであったのか、これから始まる旅日記に乞うご期待あれ。

 
其の2  成田編
 いつものことながら、旅に出る前夜は、私の心の中に期待と不安が入り混じる。「あの建築は、はたして想像以上のものだろうか?あの風景は昔、映画で見たあのままなのかなあ。食事がのどを通らず、体調不良になったらどうしょう。今、進行中の現場にどうかトラブルがおきませんように・・・。」といった具合に。たとえ数日間であっても日本を離れる時は、やり残してきた仕事のことや私の大切な家族のこと(利枝子さんとベル)が、どうしても気になる。そんな思いをかき消すように、出発前の夕食は決まって和食をとり、早めにベットに入るのだ。明日は丸一日(24時間、いやそれ以上かも)眠らず、睡魔との戦いに挑むのだから、用意周到にしなければならない。安眠できればいいのになあ。

 思ったより心地いい目覚めで、朝を迎えた。身支度をして、バイキングの朝食をとるため、ホテル内のレストランに向かう。ここでも決まって和食党の私は、納豆・焼き魚・だし巻き卵・味噌汁をいつもより少し多めに腹の中に入れ、食後のコーヒーをすすりながら、日本の味の余韻に浸っていた。すると、横には体格のいいドイツ人風のカップル、後ろには、東南アジア風のグループ、目の前には、いかにも日本のビジネスマンが、これから出張するぞといった感じで、皆それぞれ食事のひとときをを過ごしている。そうか、ここはもう空港でいえばパスポートチェックを受けたあとに免税店のコーナーがある、日本であっても日本でないゾーンのようなところなのかもしれない。再び緊張感が走るが、その後はホテルから送迎用のバスで空港まで行き、無事に予定通りパリへ向けて旅立った。

  
其の3  パリ〜ビアリッツ編
 ちょうど10年近く前に、降り立ったのが、ここパリのシャルル・ド・ゴール空港。この時は約1週間、パリを楽しむための目的でここに到着したのだが、今回はスペインとの国境に近い保養地ビアリッツへ向けての乗り継ぎである。ターミナルが増設されたこともあるせいか、ものすごい人・人・人で、前がまったく見えない。やがて出国ゲートの案内があり、そこに並ぶのだが、いっこうに前へ進まない。日本では、考えられない何列もの行列に加え、平気で横入りしてくる外国人が多くては無理もない。やっとのことで飛行機に乗り込み、夕方に到着。日本ではもう深夜の時間帯なのに、なぜか腹が空いていたので、近くのレストランへ足をのばしてみた。ツアコンのF氏も張り切って、南仏料理を頼んだつもりが、時差ぼけの影響か、そこはドイツ料理の店だったと食べてから気づくがもうあとの祭り。その日は文字通りハロウィンパーティの真っ最中だった。それでもまあ何とか空腹は満たされたので、ホテルに戻りそのままバタンキュー。泥のように朝まで眠り込むのだった。

 翌朝まだ外は薄暗い中、朝食会場へと向かう。フランスといえば何といってもフランスパンとカフェオレこれにチーズ・ヨーグルトがついてもう大満足と思いきや、まだその部屋にはホテルの従業員が見当たらない。少し待った後、ようやくパンとコーヒーだけは出てきたが、あとが続かない。「まあいいか」と店をたつ頃に目玉焼き(1人 3〜4個はあった。)が配られ、これで腹ごしらえは完了。さあ、これからスペインのビルバオに向けて出発だ。

  

  
其の4  ビルバオ編1

うねる壁、光る壁、動き出しそうな壁,魚のうろこのような壁。これほど壁、すなわち外壁の形容について語れる建築は、そう多くはない。突如として出没したこの巨大美術館は、製鉄都市ビルバオの中でひときわ異彩をはなっている。鉄錆の重苦しい空気を吹き飛ばすかのようなユニークな造形は、来場者の多さも手伝ってか、他をはるかに圧倒しているのだ。アメリカの建築家、フランク・O・ゲーリーの設計によるビルバオ・グッゲンハイム美術館は今世紀最高の建築のひとつに数えられるほどの注目作品で、私もこの作品をひとめ見ようとこのツアーに参加した。遠目に見たとき、建築雑誌の写真どおりの出来ばえ(当たり前のようで、実はそうでないケースも多い)に期待が膨らみ、このアングルから写真を取り捲った。

 美術館の駐車場にバスを停め、入口に近づく。「この発想はどこから来るのだろう。日本建築の美意識の根底にある水平・垂直のラインはひとつも見当たらないではないか?」と思いながら、ツアコンのF氏の話に耳を傾けた。F氏は「ゲーリーは魚が大好きで、この美術館も魚が群れて飛び跳ねているイメージをダイナミックに表現したと聞いている。神戸にも彼の設計によるフィシュダンスというレストランがあって、これはまさしく魚そのもの。」と言われたので、再び見上げてみると、なるほどと思わずうなずいてしまっていた。

 中に入ってみる。エントランスはガラス屋根からの光が差し込み、想像以上に明るい。ハイな気分とは裏腹にカメラチェックがかなり厳しく,いたる所に監視員が立っていて、こちら日本人の団体客をしげしげと見ている。なんか張り込みをされている容疑者のように思えたので、ここはすっぱりと撮影をあきらめカメラをロッカーに預けた。他の人達は皆隠し撮りをしていて内心しまったという気持ちになったが、実はこれが私には妙に幸いした。細部までよく見える、いや見えすぎてしまうのだ。つい先程まで不思議な形や光と影のバランスばかりに目を奪われていたが、よく見るとディテールはとても粗っぽい。いくら雨が少ないこのビルバオだからといっても、この納まりはないでしょうという感は拭えない。チタニウムの外装も相当無理しているところもあるし、ちょっと落ち着いた気分に浸れなくなっていた。そういえば、同じような造形力の見事さに強い印象を受けたスペインの建築家アントニオ・ガウディの建築との違いは果たしてなんなのだろう。単なる生理的なものなのか、それとも使用素材の違いなのか。いずれにしてもガウディを見たときのような魂を揺さぶられる感動は最後まで沸きあがってこなかった。

    

其の5  ビルバオ編2
30年以上前、私が通う小学校脇の道路には、鉄製の陸橋(歩道橋)が掛けられていた。その頃は、よくそこに昇って友達と遊んでいたものだ.今思えばたかが人間を歩かせるためだけの橋なのかもしれないが、どうしてもっと面白い夢を与えてくれるような美しい橋にならなかったのかなと感じてしまう。どの橋を見てもそうたいした差は見当たらない。それどころか使っている材料や、直線で構成された形(一部らせん状のものもあったが)そして色合いまでまったく同じとはどういうことなのだろう。これが以前の公共建築のあり方なのかな、だとすればとても悲しいことだなと実感してしまう。まあ、それでも最近は瀬戸大橋やレインボーブリッジのような美しい橋も出来てきたことだし、あまり悲観的になるのは気持ちが前向きになれないので、もうこのへんでおしまい。 

 さて、話をスペインのビルバオに戻そう。グッゲンハイム美術館のすぐ近くになんとも美しい流れるようなデザインの橋が掛かっている。スペインの建築家サンティアゴ・カラトラヴァによる設計で、まるで夢の掛け橋のように光り輝いている。川を横断する橋なら人間だけでなく、一緒に車も通してしまおうとすぐ考える日本とは何もかも違った発想になるのは単なる文化の違いなのか?それともあまりこの橋に車を通す必要性を感じていないからなのか?よく分からないが、この歩道橋はこの場にとてもよく馴染んでいるばかりでなく活力を与えている橋なのだと強く感じた。私のまちにも、こんな素敵な橋があったらいいのになあ。

    
其の6  ビルバオ編3
 ここスペインの民族は、民族間の争いが未だに絶えないと聞いてはいたが、まさかこの地下鉄で警官に詰められようとは思いもしなかった。ビルバオ地下鉄駅はイギリスの建築家、ノーマン・フォスターによるものだが、地下に降りていくガラス箱の入口がどれも斬新で多くの見学者が訪れる。我々も例外なくカメラ片手にとにかく写真を撮り続けていた。内部はグレーカラーで統一されているのでとても暗い。当然ストロボ撮影をしなければならず(高感度フィルムではなかったので)なるべく陰に隠れてシャッターを押していた。必要なところを撮り終えて、さあ帰ろうと思ったその瞬間、警官がものすごい形相で前に立ちはだかって何か叫んでいるではないか。少々たじろぎはしたものの、ただただ平謝り。そういえばずいぶん前から場内のマイクで何か怒鳴っているのは聞こえていたが、それは私に対しての注意勧告だったようだ。(写真を悪用して爆弾を仕掛けたりするような人達が今でもいるので、警官は眼を光らせているらしい。)私は意味不明の愛想笑いを浮かべてようやく地上に上がることができた。

 本日最後の見学は、工事中のビルバオ新空港。ついさきほど見た歩道橋と同じ設計者の自信作で2000年の開港を目指している。その姿は多分遠くからでもあれだと分かるくらいのインパクト、すなわちひとめ見て空港だと思えるような分かりやすいデザインでまとめられていて、とても美しい。歩道橋も空港もそれぞれモチーフは違うものの、どちらも構造体が機能美として、まとめられている点は共通であろう。一日も早い完成が待たれる。

 こうして建築探訪は、初日からてんこもりの内容で幕を開けた。沢山見れば、それでいいという訳では決してないが、これまで体験したことのない建築に出会えたことは自分とって少なからず今後の仕事の肥やしになるだろうと感じている。建築は図面や写真・ビデオをいくら見ても結局は理解できない。その場に自分の身を置いてはじめて味わうその空気こそが何よりもの財産になるのではないだろうか。

   
其の7  ダックス編
 見学2日目、今日はビアリッツのホテルを出てワインで有名なボルドーへと向かう。途中、ジャン・ヌーヴェル設計のスパ・ホテルを見学するため、下車。ヌーヴェルと言えばパリのセーヌ川沿いに建てられたアラブ世界研究所で一躍脚光をあびたフランスの建築家だが、いつも彼独特の新しい感覚で個性的な建築をつくりあげている。
 

 このスパホテルは温泉療法による長期滞在型の施設として、1992年に建設された。南仏特有の陽射しの強さを調節するために金属製のブリーズソレイユや木製のハーバー建具が設けられている。屋上には緑が植えられ、夜は看板にネオンが灯されるところなどはあたかも南仏パラダイスといった趣さえ感じられる。エントランスに一歩足を踏み入れると、そこは巨大なアトリウム空間が広がっていた。海底をイメージしたといわれるブルーカラーのライトがなんとも艶めかしい。現在、滞在者にはこの色調や金属質がとてもクールに感じられ不評なので、近々リニューアルされる話も出されていた。

 道路のアスファルトの黒色をそのままエントランスホールへと連続させて、内と外の境界を隔てないといった配慮は十分に理解できる。また、ワイヤーロープをアトリウムに面した側に通路の手すりとして張りめぐらしたのは、安価に造らなければと設計者が苦労したアイデアなのかもしれない。この他にも、ガラス・金属の階段・ライティング等々にも工夫の跡が・・・・。
 しかし、私はこう思う。こういった施設は人間にとって心地いい一番最後の場を提供できるものであるかが、最大のキーポイントなのではないのかと。
  

 
其の8 レジュ編
 ダックスの町をあとにしてボルドーへと向かう途中、レジュという小さな町に立ち寄った。ル・コルビュジェの初期の作品シテ・ドゥ・レジュを見るためである。入口の看板にはコルビュジェの名前が記され、今でもここのオーナーが彼に対して敬意を払っていることがうかがわれた。

 それぞれの住宅へと足を運んでみる。パステルピンク調に塗られたフラットルーフの家、これが何軒も続く。太陽光線の強さも手伝ってか、私にはとても眩しく感じられる反面、あまり落ち着いた気分にはなれないでいた。その時,一番奥の家だけが、なぜか鈍い光を放っているように思えた。よく見ればこの家だけ三角の勾配屋根が掛けられ、外装は相当荒れ果てている。人が住んでいる様子はなく、すでに廃墟と化していた。だが、直径200ミリのコンクリート柱や、細い断面のコンクリート製パーゴラ等はどうも当時のものらしく、状態は決してよくないが、まるで何かを語りかけてくるかのような迫力さえ感じられる。聞いてみれば,この家だけがオリジナルの構造体にあとから三角屋根を掛けたものだとのことで、他はすべて当時に似せて建て替えたものらしい。そう言われれば、あの外壁の艶やかさや開口部のアルミサッシュ等は、オリジナルでないのが一目瞭然だし、眩しく感じられたのもきっとこれが要因なんだと、妙に納得せずにはいられないでいた。

 約75年前に建てられたこの集合住宅。日本では当の昔に壊され、跡地には何か別のものが建っている現実を考えたとき、建て替えられたとはいえオリジナルのままそっくりその建築を残そうとする国民性の違いに、胸を熱くしていた。

    
其の9  ぺサック編
 戦後の高度成長期の時代、公団が推進した集合住宅は同じプランですべて南面向き、陽当りのことを考えて住棟間は一定間隔の距離をとり同じ方向に建てていくと相場は決まっていた。これはとにかく、一日でも早く多くの国民が安心して暮らせるための国の施策だったのだから、仕方がないかなといえばそれまでかもしれない。鉄筋コンクリート構造に南向きのベランダが設けられ、nDKといった言葉の響きにステンレスの流し台がついていると聞かされれば、誰もそこに住みたいと感じてしまったのだろう。だが果たしてこれでよかったのだろうか?よいであろうはずがない、と私は思う。本来,もっと違う意味で夢を与えてほしいはずの建築が、まるで日本の義務教育にみられるような画一的なあり方ではどうにも納得できない。日本人は昔から大変几帳面で、学校の朝礼にしても整列する時、一定間隔をきっちりあけて並ぶといったくせ(?)が染み付いているとはいえ、何も複数の集合住宅を建てていく間隔まで一緒にしなくてもいいと思う。

 ボルドーの近郊、ぺサックという小さな町に、ル・コルビュジェは先に記したレジュ集合住宅のオーナーの息子から依頼され、当時としてはとても斬新な集合住宅を建てた。今から約70年以上前、日本ならば昭和初期の頃である。屋根だけ見てもフラットルーフあり、穏やかな勾配屋根あり、はたまたヴォールト(湾曲)状の屋根ありと変化に富んでいて面白い。特にヴォールト屋根の下が抜けていて、向こう側の緑が楽しめるといったアイデアはとてもユニークである。PLAN展開も面白い。同じPLANの住戸を180度反転させながらつなげていくことで、表の顔と裏の顔が交互に見えリズムをつくっている。屋外階段や屋上、トップライト、横長水平連続窓の構成も見事で、また面によって色を塗り分けていく色彩の魔力は見る者を強く惹きつけてやまないことだろう。

 ここには、たとえ同じPLANであっても同じ家に見えてしまうことは、まずありえない。光の入り方も、朝日が綺麗に差し込む家もあれば、北からの間接光で落ち着いた暮らしを営む家もある。屋上付きの家もあればない家もある。皆一様でない。この一様でない豊かさに、人間としての真の喜びを享受できると私は思うのだが・・・・・。

    
其の10 ポデンサック編
 見学2日目の午後、秋の陽光が少し傾きかけ、心地いい風があたりを吹き抜けていく。今日の宿泊地ボルドーを通り過ぎて、ここポデンサックという田舎町に我々は立ち寄った。日本人はおろか外国人はまず来ないだろうと思われる町並みは静まり返っている。歴史の重みを感じる建築物からは、日本人の古美(ふるび)の精神が息づいているかのような風格さえ感じられた。石組みの壁に木製の大きな扉が丈夫な蝶番によって取り付けられ、なんともいえない色合いでまとめられている。そこに光があたることで、其の建築の奥行きが何倍にも深く見えてくる。まるで、タイムスリップでもして、その世界をさまよい歩いているように・・・・。
 少し奥に入ると、均整のとれた美しい塔が見えてきた。逆光を浴びながら大地にすくっと建ち上がる姿は、とても80年以上も前のものとは思えない。ル・コルビュジェと名乗る前の処女作だと聞いてまた驚いたのだが、正面入口を見たそのプロポーションの良さはやはり天性のものなのかなあと、その場でひとり頷くしかなかった。

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