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村松篤設計事務所は、静岡県の西部、浜松市にあります。

お問い合わせはTEL.053-478-0538

〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

☆この曲はのATSUKOさんの『風の便り』という曲です。 

  建築材料の選択!

 以前(ずいぶん前になる)住んでいたアパートは、今思えば劣悪な住環境だった。南に大きなマンションが建ちはだかっていて、日当たりは悪いし、風通しも悪かった。だけど、そういう条件を考慮して設計している訳では、当然ない。施工にしても、建築材料にしても、住まい手のことを考えていたとは思えない。夏はすご〜く暑く、コンクリートに熱が籠もってしまい、かえって外の方が涼かった。冬は冬で寒く、居間一部屋がなかなか温まらない。お風呂だって沸くまでに1時間近くかかったので、沸く頃には眠くなってしまった。しかも脱衣場がないので、居間で着脱することになる。冷えきった廊下を気合を入れて走った。

 マンションに引っ越してからはずいぶん環境は良くなった。アパートに比べたら雲泥の差だ。でも鉄筋コンクリートにクロス張りの室内は結露が酷(ひど)かった。奏庵に移ってからはそれもない。いろんなことを考慮しての設計や丁寧な施工はもちろん、建築材料(自然素材)へのこだわりにも起因するんだろう。開放的な吹き抜けは風がよく通り抜けるので、とても気持ちが良い。先月の初め、「もうエアコン、びんびんですよ」と美容院のSさんは言ってたけど、奏庵ではまだまだ余裕だった。それに無垢材やほたて漆喰壁の調湿性のおかげで、ジメッとした梅雨時も、室内はカラッとしていて清清しい。材料選択は大事だ。時々、上棟で柱が緑色をしている住宅を見かける。これは日本の風土と異なる環境で育った外材等の防腐・防蟻性を高めるために薬品処理をするからだそうだ。化粧柱(仕上がった時に見える柱)ではないので、最終的には隠れてしまうけど、そういう材料はちょっと抵抗があるなあ。

 奏庵の1階は節のない無垢材を使っている。節のある材に比べると価格は高くなるんだけど、空間がすっきりと美しいのでちょっと気張ってしまった。本当は2階もそうしたかったんだけど、予算の関係もあって2階は節あり材だ。(予算がもっとあれば・・・。)柱は杉材、梁は松材、床は赤松のフローリング。この赤松のフローリングは、比較的柔らかい材なので、足に負担が少ない。だけどそれがまた難点で傷つき易くもある。今では愛猫の爪痕が至るところにあるけれど、新築の頃はとても神経質になっていた。だけど幾ら気を付けていても、手が滑ることはあるもので、ある日誤って物を落としてしまった。床は凹んで、それがまたよく目立つ。しばらく落ち込んでいると、所長が帰ってきて、「少量の水を浸しておけば大丈夫だよ」と云う。半信半疑だったけど、その通りにすると、翌日には見事に元に戻っていた。“すごい、木は生きているんだ”

 今年の露入りの頃、水崎棟梁の家の一部を改築した。それまで和室だったところを、事務所として使うためだ。この事務所でも奏庵と同じ建築材料を使った。(嬉しいことに、村松事務所に設計を依頼してくれる建て主の多くは、奏庵と同じ仕上げを好む)梅雨時でも特に不快指数の高いと思われる日に、所長が事務所を訪ねたが、所内はとても爽やかで快適だったみたい。だけど一歩事務所から出て他の部屋に行くと、湿気った空気が纏(まと)わりついてきたという。建て主に体感してもらうのには、ちょうど良い見本かもしれない。(^^ゞ

  家造りの温度差!

 あるTV番組のなかで、住宅トラブルが取り上げられていた。新築工事が中断しているというのだ。その家の立面図が映し出された。曲面屋根で、そら豆の窓が印象的なモダンな家だった。ある日、その家の完成を楽しみにしていた建て主が、工事中の現場を訪ねていくと、何だか説明された材料と違うものが使われているような気がしたそうだ。気になって他の場所を見て廻ると、そら豆の窓がある位置に柱があるのもおかしいと気付いた。建築会社の人にその理由を尋ねるが、納得のいく説明がされず、その後工事がストップしてしまったという。建て主である奥さんは、「緑色のシートを見る度に腹が立つ。なんでこんな人達(建築会社と設計者)を信頼してしまったのか」と憤っていた。図面どおりに施工するのが施工者の務めであり、図面どおりに施工させるのが設計者の務めのはずなのに・・・。

 ずいぶん前になるけど、それまで組んだことのない建築会社と仕事をすることになった。通常ならば所長の設計を理解している建築会社に施工を依頼するんだけど、建て主の意向もあったし(懇意にしているという)、合見積もりをした結果、その会社が一番安かったという理由もあった。だけどその見積もりはとても大まかな、いわゆるどんぶり勘定だった。図面に細かな指示がしてあるにもかかわらず、まったく違った材料が調達してあったり、勝手に解釈して施工がされていたのだ。図面どおりに施工されることを求める所長は、毎回の駄目出しに疲れ果てていた。細かな配慮を求める所長の家造りに対して、あまり図面にこだわらない、どちらかといえば大雑把な家造りをする建築会社。それが会社の方針(体質)だったのかもしれない。だから所長の家造りに対して、否定的だったように思う。

 家に対してあまりこだわらない、住めれば良いぐらいに思っている建て主もいれば、時間を掛けて自分達の理想の家を実現したいと思っている建て主もいる。村松事務所に依頼してくれる建て主は圧倒的に後者が多い。だから前述のような会社では物足りないだろうと思う。建て主と建築会社や設計事務所の家造りに対するこだわりの度合い、温度差がトラブルの原因になるように思う。こだわりの少ない大雑把な会社もあるけど、真面目に家造りに取り組んでいる会社もある。家造りには、設計や施工を依頼する会社の体質を見極めることが大切だ。

 実際どうしたらいいのか。それは家を見学することだろう。
手っ取り早いのはオープンハウスかな。納得いくまで見学して、疑問があれば質問するのも良い。建て主が立ち会っている場合もあるので、家造りの感想を聞けるかもしれない。そういう機会がないようならば、建築会社や設計事務所が担当した家を見学させてもらう。村松事務所でも新しい建築会社と仕事をする場合は、その会社が施工した家を見学させてもらうようにしている。家を見学させてくれるというのは、その会社と建て主の間に信頼関係がなければ実現しない。だって見ず知らずの人達を、気持ち良く迎え入れてくれる訳だから・・・。もてなすための準備(掃除機をかけたり、部屋を片付けたり)に手間だって掛かっているだろうし、何よりプライベートな時間をわざわざ割いてくれるのだから・・・。

  吉村さんの自邸!

 今年の春、旧吉村順三事務所で、吉村さんが設計した家具とあかりの展示会があった。吉村さんの事務所は、以前から行きたいと思っていたので、とても楽しみにしていた。その日、事務所には奥村まことさん、益子さん、小田原さん等、建築家の先生方自らが詰めていらした。小田原さんは、展示会に若い人達が訊ねて来てくれることをとても喜んでいた。また、以前芸大で催された、『吉村順三建築展』にも触れ、殊の外多くの人が訪れてくれたことに感激していた。吉村さんは建築家の先生方にとって、とても大切な人なんだろう。私がその建築展に行った時も、沢山の人達が訪れていた。壁一面には、吉村さんが設計した住宅の写真が大きく引き伸ばされ展示されていた。どの住宅も気持ちの良い空間が広がっていて、これらの家の中に入って生活したいと思わせるものだった。なかでも興味深かったのは、吉村さんの自邸の変遷が展示されていたことだ。

 吉村さんの自邸、南台町の家は、吉村さんを特集した別冊新建築 日本現代建築家シリーズFに紹介されている。余談になるけどこの雑誌は、“作品偏重主義から一歩抜け出して、建築家が生み出される基盤としての建築家の背景をあらゆる側面から照射し、建築家のありようまで含めて表現しよう”(編集後記)とする当時の編集者の意気込みが感じられる。吉村建築に深く踏み込んでいるので、建築を学ぶ者にとっては大変勉強になる一冊だ。この南台町の家については、吉村さんと建築家、宮脇檀さんとの対談のなかで、その設計手法が語られている。たとえば玄関を中心部に持ってきたことについては、「プラン上で玄関をまん中にとると、そのまま各部屋に入れるので、廊下の分だけスペースの無駄が出来ない」とある。狭い空間を有効利用する方法が合理的だ。居間は天井が低く抑えられているけど、南側の開口部が広くとられて庭へとつながり、食堂へも自然と視線が移行するので、伸びやかで明るい空間が展開されている。動線が巧みで、部屋の繋がりも自然なのに、この南台町の家は増改築によって成り立っている。

 1946年、吉村さんは12.5坪の建売住宅を購入した。2階建てのその家は、上下に1部屋ぐらいしかない小さな家だった。しかし6度の増改築が繰り返され、1階に居間、食堂、台所、音楽室、そして和室、2階には寝室、子供部屋、書斎、納戸という南台町の家が完成した。建築展では、その経過が模型とともに順番に並べられていた。吉村さんの自邸が建売住宅で、しかも増改築を繰り返した家だったことに驚いた。私の実家もそうだけど、増改築がされて素敵になったという家に、なかなかお目にかかれない。聚楽壁に飾り建具の入った純和風の家に、たぶん当時の流行が取り入れられたのだろう、マントルピース(壁付き暖炉の上に設けた飾り棚)にシャンデリアの部屋が増築されて、なんとも調和のないちぐはぐな家や、部屋ばかり多くはなっても有効に利用されていない家を見ると、一体何のための増改築なんだろうって思ってしまう。だけど南台町の家は、増改築するたびに豊かさを増し、とても素敵になっていく。

 家が着々と出来上がってくると、嬉しさで気が大きくなるのか、“人生一度の買い物だから、どうせなら悔いのないように”という気持ちが強くなってくるのか、予算の事がどこかに飛んでいってしまう建て主の軌道修正は難しい。自分の要望を叶えたいという建て主の気持ちは良く分かるから・・・。でも増改築を繰り返してもこんな素敵な家が出来るんだったら、無理をする建て主が減るかもしれない。それに最近10年、20年と経過した建て主からの増改築の依頼が多い。子供が独立したり、会社を退職したりと、生活の仕方が変化するからだろう。子供部屋を念願の書斎や、趣味の部屋に改築したり、寝室を子供部屋と繋げて広くしたりと、これからの人生を有意義に暮らすために改築が行なわれる。家というものはこんな風に、暮らしの中で完成させていけばいいのかもしれない。無理をしないで、生活の変化とともに必要な増改築をしていく。そんな家造りもありなんだなあ。

 

  自由自在に!

 日比谷公園の向かい側、帝国ホテルと道を挟んで、日本生命日比谷ビルがある。このビルは、建築家 村野藤吾さんの設計により、1963年に竣工された。この中に村野さんの代表作、「日生劇場」がある。建築家の内井昭蔵さんは、日生劇場について、『彼の力量は、建築の納まりに発揮される。とりわけ劇場の内部空間は圧巻であった。あれほど自由にイメージを描き、それが実現できることなど当時の私にとっては驚異であり、励みとなった。幾千、幾万というあこや貝の象嵌られた曲面は妖しく光り、その官能的な美しさこそ建築が表現し得る最高の美ではないかとさえ思った。(中略)私はこの建築は村野の装飾が生きた最大の傑作であると思う。』と述べている。一体どんな空間が広がっているのだろう。日生劇場への想いは募った。だけど劇場を見学する場合に厄介なのは、公演チケットを購入しなければならないことだ。どうせなら好きな公演を見たい、そんな訳で劇場見学はどんどん先送りになっていた。

 昨年の夏、ようやく願いが叶い、劇場内部を見学する機会を得た。ミュージカルのチケットを手に、螺旋階段を駆け上がる。心躍りながら劇場内に入ると、あこや貝が散りばめられた曲面天井が迫ってきた。うねるような、力強いエネルギーに満たされた有機的であり、とても幻想的な空間。内井さんの感想どおりの空間が展開されていたが、私はどこかで似たような空間を味わったことがあるような気がした。何処だったか。そうだ、スペインのバロセロナにあるカサ・ミラだ。アントニオ・ガウディによって設計されたアパート。カサ・ミラはバロセロナの街の中に、異彩を放って佇んでいた。地下駐車場に降りて行く時には、まるで海底深くに沈んでいくような感覚に捉われた。無機質のはずの建物なのに、魂が宿っているかのような生命力を感じた。

 京都の東山、華頂山の中腹には、1959年にホテルの和風別館として建てらたれた「佳水園」がある。これも村野さんにより設計されたもので、戦後の数奇屋建築の傑作として知られている。私の大好きな建築のひとつだ。ホテルの名称がまだ都ホテルだった頃、本館に宿泊し見学させてもらった。(本当は『佳水園』に宿泊したかったんだけど、・・・。いつかは泊まりたい。)佳水園は白砂の庭を囲むように部屋が配され、銅板葺きの薄い屋根は、緩やかな勾配を保ち、幾重にも重なり合っていた。それらは軽やかで調和がとられ、そしてとても美しかった。庇を低くする、柱を細くする、面を取るなどの村野流はここでも健在だった。所長も「村野さんの建築にはなんとも言えない色気がある。」と言っていたが、確かにどこか艶やかさを感じる建物だった。

 建築家の高橋志保彦さんは「村野藤吾とその時代」の中で、『村野建築は芸術であり職人芸でもある。洋風も和風もあり、氏にいわせるとどちらも同じだという。華やかさがあって侘びがある。強さもあって柔らかさもある。酒脱であって深みがある。一見相容れないものが妙に溶け合って独特の作風になる。まさに織部の世界に共通する“村野の世界”であり、井上靖は村野藤吾の身につけているものは“きれい寂び”だと正鵠を得た表現をした。自分の作品は日本建築ではなく和風だといい続けた。いわば日本建築や利休は真であり、和風=村野調や織部は柔らかく自在であるということであろう。』と述べている。ちょっと分かり難かったので辞書を引いてみた。真には「まこと、本当、ほんもの」という意味の他に「楷書」と言う意味があった。日本建築が楷書だとすると、村野調は草書ということか。楷書体には一通りの書き方であるのに対し、草書体は幾通りかの書き方がある。日生劇場のような建物を設計するかと思えば、佳水園のような数奇屋建築も設計してしまう村野さん。村野さんは日本建築の枠を超え、何ものにも捉われず、己の建築を追求、いや楽しんでいたのかな。自由自在に空間を構築して・・・。


  流行!

 「やっぱり家は一度建てたぐらいでは、納得いかないのかなあ。」と友人のSが呟いた。なんだか不満そうなので訊ねると、「キッチンがとっても使い難いのよ。いちいち廻り込まなければならなくて、面倒なんだよね。」と言う。彼女の家のキッチンは対面キッチン。子供が遊んでいる姿を、キッチンから見ながら料理することができるということで、当時(十数年前)主婦の間で人気を博していた。「良く分からないので、言われるままに建てちゃったんだけど、もっと良く考えればよかった。」と言う。月日が流れ、子供が成長してしまった今となっては、不満だけが残ったようだ。流行というものは、流行している時には一番素敵だと思っていても、何年かして振り返ってみるとなんだか凄くかっこ悪かったりする。不思議なものだ。

 最近、よく見かけるキッチンにアイランドキッチンがある。このキッチンは、アイランド(島)という名が示すとおり、陸(壁)から離れ、孤島のように存在している。(とはいってもキッチンすべての設備をこの島部分だけに組み込むことになると、ボリュームが大きくなりすぎてしまうので、一般的には、壁側に1列型やL字型のシステムキッチンを配すことが多い。)明るく広々とした開放的な空間に配されるおしゃれなキッチン。こんなキッチンなら、料理を作っているときに家族と離れ孤独になることもないし、休日には家族と一緒に料理を作るなんていう夢をも抱かせてくれそうだ。な〜んか良い事ばかりみたいだけど、このキッチンだって万能ではない。広々とした印象を受けるこのキッチンは、やっぱり広〜いスペースが必要なのだ。キッチンだけにスペースを割くことができない小住宅にはちょっと向かない。また開放的な空間ということも、それを使う人によっては短所になる。

 家を新築するご家族の多くは、新しい家に引っ越したらすっきり暮らしたいと思っている。それは収納を増やして欲しいという要望からもうかがえる。アイランドキッチンのようにLDKと一体になったオープンタイプのキッチンの場合、すっきり住むためにはキッチン内の片付けは必須だ。なぜならキッチン内が見え易い。綺麗好きで、片付けが得意な人ならば、そんなに問題はないだろうが、そうでない人もいる。ちょっと厄介なのは、片付けは苦手だけど散らかっていると落ち着かないという人。リビングで寛ぎたいのに、その視線の先がゴチャゴチャしていると、何となく気持ちが休まらない。次第にそれがストレスになってしまい、心地よく住むことができないとしたならば、家を新築した意味がない。また、仕事が忙しく疲れているので、直ぐには片付ける気にならなかったり、家族が気ままに暮らしているので、食事の時間帯もバラバラという人もいる。そういう人達は、一体型にこだわるよりも、キッチン・ダイニングとリビングを離した方が生活し易いのかもしれない。

  “建築は、はじめに造形があるのではなく、はじめに人間の生活があり、心の豊かさを創り出すものでなくてはならない。”という建築家・吉村順三さんの言葉がある。家を設計するということは、まずはその家族、そしてその家族の生活を知ることからはじまる。だから何回も何回も打合せをして、性格、暮らし方、家に対する考え方、その他諸々の事を理解しなければならない。それらを理解してはじめて、その家族に一番あった空間を提供することができる。流行に流され、不満を言っている友人Sのような家族は多いと思う。だけど納得のいく家造りをしてもらいたいから、そのためには、ご家族でもう一度自分達をみつめ直して欲しい。そして流行に流されることなく、何が自分達に一番あっているかを冷静に分析して欲しい。やっぱり家を新築したご家族には、幸せに暮らしていただきたい。家族の笑顔がなによりも一番嬉しい。

※キッチンハウスのアイランドキッチンの写真を参考に使わせていただきました。

  気になる地盤!

 新しい年が明けて正月気分を味わっていたのに、もう3週間が過ぎてしまった。月日が経つのはなんて早いのだろう。年々早くなるような気がする。それにしても今年のお正月は忙しかった。例年ならば箱根駅伝や正月番組を見てのんびりと過ごしているんだけど、今年は2日から所用で出掛けた。それというのも所長がお茶を習い始めたからで、Y先生主催の初釜に誘われていたからだ。所長は常々、「茶室の設計のためにも茶道を習いたい」と言っていた。それが昨年ようやく叶った。本格的に茶道を始めたという訳ではないんだけど、新設された高校の社会人講座の中にある“楽しいお茶教室”を受講している。様々な年齢層の女性に混じって孤軍奮闘しているみたいだ。先生からは“筋が良い”と褒められているらしい。単なる社交辞令、もしくは男性が少ない故の勧誘ではないかと私は思っているが、本人はまともに受けとってとても気を良くしている。

 久しぶりに初詣にも行った。その日は天気が良く、とても暖かな絶好のドライブ日和。浜松西ICから東名高速で一路西へ、伊勢神宮へと向かった。豊田東で伊勢湾岸自動車道に入り、東名阪・伊勢自動車道と快適なドライブを続けていた。このまま行けばお昼頃には着きそうだからお参りしたら、おかげ横丁に寄って、お土産には赤福を買ってなんて暢気に考えていた。そう渋滞の列の最後方に加わるまでは・・・。途中の掲示板には伊勢ICから渋滞11キロと表示されていたが、その距離は思いのほか長かった。渋滞の列は時折数メートル前進するもののほとんど動かない。結局、伊勢西ICで高速道路から開放された時には、夕方の5時をまわっていた。普段ならば15分で着くところを、4時間半もかかってしまったことになる。豊受大神宮(外宮)に着いた頃には、あたりは既に薄暗かった。皇大神宮(内宮)にも行くつもりだったが、内宮に続く道はまだ渋滞していたので諦めて帰路に着いた。

 やはり帰路も混んでいた。四日市ICから渋滞35キロという掲示板を見て、一旦高速を降り一般道を走る。みえ川越ICで再び高速(伊勢湾岸自動車道)にのった。前方に広がる名古屋の夜景、高速道路上を交錯する車のライト、3本の斜張橋はライトアップされ幻想的でとても綺麗だった。こんな橋を構築してしまう日本の建築技術は凄い。建築家の安藤忠雄さんも「日本の建築、土木技術は世界の最高レベルにある」と言っていた。だけど私は湾岸という地盤がどうしても気になってしまう。それは私が静岡で生まれ育っていることに起因しているのだろう。以前水上バスで隅田川くだりをした。リバーサイトには高層のマンション群が建ち並んでいた。都心にも近いし、眺望も良さそうだ。隅田川の花火はさぞや綺麗だろう。こんなところに住むのも良いかなあと一瞬脳裏を横切った。が、ちょっと待てよ、確かこの辺りは江戸時代の埋立地。地盤が磐石というわけではないだろう。と、いつもこんな具合だ。東海大地震が予想されてから彼此30年余りが経った。幸いにも東海地方は比較的平穏だったため、県民の地震に対する意識も薄らいでいる。しかし阪神大震災や新潟県中越地震が起こると、その記憶はよみがえる。今でも静岡県は他県に比べると耐震基準が高い。

 住宅の耐震性を考えるとやはり地盤は良いに越したことはない。静岡県地震防災センターのHPには、県内の地盤の状況を色分けした3種地盤分類図がある。第1種地盤は良好な洪積地盤及び岩盤、第2種地盤は第1種および第3種のいずれにも属さない洪積地盤及び沖積地盤、そして第3種地盤は沖積地盤のうち軟弱地盤ということになる。奏庵(自邸)は、強固な地盤を誇る三方原台地(1万年から200万年前の時代に堆積された洪積地盤)の端になんとか引っかかっているので、第1種地盤ということだった。しかしこの図は一応目安にはなるけど、家を新築する場合には地盤調査をした方がいい。軟弱とされる場所でも調査をしてみると意外と良好だったりする場合もあるし、その逆もあるからだ。この地盤調査の結果に基づき基礎工事が施されるが、地盤が弱い場合は地盤改良をしたり、固い地盤が出てくるまで杭を打つ等、基礎工事にかかる費用がかさんでしまう。これから土地を探そうという方は、頭の片隅でも良いので地盤のことも気にかけてみたらいかがでしょう。

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