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村松篤設計事務所は、静岡県の西部、浜松市にあります。

お問い合わせはTEL.053-478-0538

〒432-8002 静岡県浜松市中区富塚町1933-1

☆この曲はの一之瀬さんの『海ゆえに』という曲です。 

 

  住宅と感性!

 静岡県弁護士会では、住宅紛争に関する相談の窓口があり、弁護士と建築士が相談者の対応をしている。所長は所属団体からの要請を受けて、第三者の立場で建築についての意見を述べているようだが、守秘義務があるので私は詳しいことは知らない。ただ、施主の立場になって考えると、せっかく新築した家に気持ち良く住めないなんて悲しい。相談や調停をしないまでも、新居に満足していないという話は時々耳にする。ある床屋の店主は、「前の家の方が住み易かった。やっぱり家は3度建てないと満足しないのかな」と呟いていた。よくよく話を聞くと、設計者とは一度しか打合せをしていないようだ。それはあまりにもコミュニケーション不足ではないのか。所長は設計する上で、建て主やその家族を知るということをとても大切にしている。
 
 所長が尊敬する建築家、吉村順三さんの、
「建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活が行われているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感じられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか」
この言葉の中にある、いい生活や楽しそうな生活は建て主や家族の事を理解していなければ分からない。吉村さんが打合せの中で感じた家族の感性を大事にして設計をしていた証ではないだろうか。この言葉は所長の胸にずっと刻まれている。

 「雨・露をしのげる家を・・・」と抽象的で難解な要求する建て主もいた。所長はその意味を探るために京都の河井寛次郎記念館まで足を運んだ。そして建てられたのが、“まちの語りべになる家”だ。高低差のある変形敷地に建つ白壁の家は、新築時から古びた民家の風情を漂わせていた。玄関までのアプローチもとても趣きがある。玄関に一歩足を踏み入れると、何故か郷愁に誘われた。日本人としてのDNAに語りかけてくるような家だった。この家は人気があり、見学希望が多い。やはり皆さんも私のように何か感じるものがあるのだろうか?35年の月日を経てますます趣きを増していた家だが、ちょっとガタもきてしまい、今年、改修の仕事を頼まれた。
建て主のIさんから、「村松チャンは空間が分かるんだねぇ。空間の魔術師だねー」と言われたと、所長は照れながらも満更でもない様子だった。
仕事の一線から退いたIさんは、家で過ごす時間が増えて、より感性が高まったのかな?

 「村松さんの設計した家に住んでとても気に入っている。この雰囲気を壊したくない」と連絡をくれたのが、30年前に設計した住宅に住むTさん。
この住宅は、方位が45度振れている特殊なプランで、難易度が高かったのでよく覚えている。今回、娘さんご家族と一緒に暮らすための増改築の依頼だった。
「お久しぶりです。村松さんは変わっていませんね」と挨拶した娘さんは、当時、小学生。そんな少女が、いきなり成長した女性となっての再会に、「一瞬、タイムスリップしたような不思議な気分になった」と感慨深げだった。私はなにより、ご家族が所長の設計した家を気に入って暮らしてくれたのがとても嬉しい。
 

 

  閃(ひらめ)き!

 個人住宅を設計するうえで、所長が一番大事にしていることは、建て主を知ることです。家の要望、予算を記入していただく設計ノートには、快適な空間や心地良さという言葉が並んでいます。ただそれらの概念はとても抽象的で、個々によって異なるのでとても難しい。だから建て主(家族)にとっての快適さ、心地良さを理解するために打合せは入念に行います。時には雑談だけで何も決まらない日もあるようですが、「雑談の中に重要なヒントが隠れていることがあるんだ」と手を抜きません。

 “屋根裏部屋、干し草のベッド、憧れたアルプスの少女ハイジの生活、秘密基地、熱中したプラモデル造り”等々、忘れていた建て主の記憶を呼び起こします。そんな会話を丁寧に聴き取り、個人の理解を深めていく。所長は設計者であると同時に、ベテランカウンセラーのようです。打合せを重ねることで建て主との距離が近づき、信頼感も強まる。家が完成して引き渡しが終わった後、建て主から、「事務所に伺うことが出来ないので淋しく思います」と書かれた年賀状をいただきました。所長との打合せを楽しみにしてくれていたんだと思うと嬉しくなります。

 建て主を理解して、その暮らしを想像すると、ある日ふっと閃く瞬間があるようです。新幹線に乗っている時だったり、リビングでTVを観ている時だったりと、そのシチュエーションは様々ですが、比較的寛いでいる時が多いかな。私もそんな閃きの瞬間を感じたことがあります。ある日、ボーっとリビングの片隅を見ていました。その時、所長の頭の中では着々と空間構築が始まっていたのです。それはとても緻密なところにまで及ぶので、所長が図面に向かう時は、頭の中で完成したプランをただ描き写しているだけなのです。

 にわかに信じ難い話もあります。夢の中に敷地があらわれ、起きた時にはプランが完成していたというのです。まあ、寝ている時が一番寛いでいる時なのでしょうが、無意識化で脳が働くのでしょうか?ある作家が似たような話をしていました。「小説の登場人物が勝手に動き出すことがある。自分はそれを筆記しているだけです」と。何か別の存在によって、自分の意識とは無関係に手が動く自動書記というものらしいのですが、所長の場合とは少し異なるように思います。常々、「建築は訓練だよ」と言っている所長です。脳のメカニズムはよく分かりませんが、長年の訓練と経験が蓄積されている所長の脳ゆえに、そんなことも起こり得るのかもしれません。 
 
 

  永田さん!

 この夏、東京の永田邸を訪ねました。一昨年前の12月に永眠した永田昌民さんのご自宅です。梅雨が明けて一気に暑さが増した日、最寄りの駅まで迎えに来てくれた奥様の案内で初めて訪ねました。以前からの願いがようやく叶ったのです。玄関までのアプローチを歩くと、一匹の猫が出迎えていました。永田家の猫かと思いきや近所の野良猫で、一緒に入りたがるのを阻みながら、お邪魔することになりました。

 ダイニングテーブルに座って全体を見渡すと、白壁のモダンな空間はコンパクトなんだけど広がりがありました。そして流石に良く考えられているからか、使い勝手が良く、とても住み易そう。開口部の取り方も巧みで、光の取り込みが上手いなあって思いました。いつの間にか先ほどの猫がベランダから睨んでいました。猫もこんな心地の良い家の中に入りたいのでしょう。「ニャー、ニャー」としばらく鳴いていたけど、そのうち諦めて寝てしまいました。

 所長と永田さん(先生と呼ばれること嫌ったので、敢えてさん付けにしました)との出会いは、30年前。建築家の人達と交流のある会社に勤めていた頃です。先生方の建築現場を訪ねたり、先生方が講師を務める設計スクールを担当したりと、そんな交流の中で建築を学べたことは今の所長の財産になっています。特に永田さんとは馬が合ったようでした。
空間を流動的にデザインする天才∞奇をてらわず周辺環境を徹底的に読み込んだ設計∞寸法とディテールに生涯こだわりぬいた設計の職人
と永田さんを、その建築を尊敬していました。永田さんも、「浜松に設計の上手い奴がいる」と周囲に話していたそうです。だから「独立したい。永田さんのもとで学びたい」と言い出した時は、それも有りかなと思っていました。

 しかしそれは実現しませんでした。三十も半ばまで地元で暮らしてきた所長にとって、地元でのしがらみは強く、学生が上京するような訳にはいかなかったのです。最近、「永田さんは、村松君に図面を描いてもらいたかったんだよ」という事を話されていたと耳にしました。永田さんは私たちの上京を待ち望んでくれていたのです。永田さんの気持ちを考えると、嬉しさと同時に申し訳なさで複雑な気持ちになりました。帰り際に奥様から思い掛けず形見分けの品物をいただきました。これからも永田さんから学んだことを大切に受け継いでいかなければならない。そして若い世代にも伝えていかなければならない。


  そよ風セミナー!

 この春、浜松において環境創機主催の“そよ風セミナー”が行われました。その壇上に立った所長の講演は、聴衆の心に響き盛況だったようです。講演は、「これまでの歩みと私の設計作法」という内容。工務店の設計者としての日々、仕事を懸命にこなしながら書物を読みあさって勉強した建築家の作品、仕事を通して出会い、実践で学んだ建築家の作品が、所長の建築にどのような影響を及ぼしたのか。そして独自の設計作法を確立するまでの歩みについて語りました。

  特に、東京芸術大学の奥村昭雄先生は、所長の建築に大きな影響を与えています。1986年、所長は先生が考案したパッシブソーラーシステムを取り込んだモデルハウスの設計を担当しました。そのモデルハウス「現代民家・宇」は、共同通信社の取材を受け、全国の地方紙に紹介されると話題になり、正月3日間で1000組を超える見学者が全国から訪れたそうです。

 その反響を受ける形で、そのシステムを普及する会社が設立されました。加盟工務店を募るため、全国行脚が決行され、各地で説明会が行われましたが、海のものとも山のものとも分からない会社、スタッフだって事務員を含めて5人という小さな会社の試みは、今思えば無謀とも言えるものでした。全国を廻りながら、ようやく会場に着いたら誰も居なかったということもあったようです。ただ、勢いだけはあった。現在は町の工務店ネットを主催する小池一三さんの陣頭指揮のもと、徐々に入会する工務店も増えていきました。

 このセミナーの聴衆で当時をよく知る人達は、そんな時代を振り返り懐かしんでいたそうです。ある人は、「あのモデルハウスに感動して入会したんですよ」とボソッと言ったとか。今回のセミナーの前にも住宅の見学が行われました。所長が23歳の時に設計した原点ともいえる「街の語りべになる家」です。この家を食い入るように見学していた若い人達の姿が、とても印象的だったそうです。所長の設計した建物が人の心を惹きつける力があるとしたら嬉しいものです。 


  設計塾 !

 以前、弊社に寄せられた問い合せの中に、「建築についての下調べをしていく内に、工務店任せでいいのかという疑問が消えません。当然、工務店お抱えの設計士が来るということですので、工務店に有利な建築がされてしまうおそれがありませんか?」という質問がありました。「家造りを後悔している」とか、「失敗した」とかいう声も時々耳にします。こだわって家造りをしたいと思う建て主の不安はよくわかります。

 工務店の家造りに対する考え方は様々です。会社の規模によってもその経営方針は異なっています。たとえば多くの従業員を抱えて生産性を上げなければならない会社は、広く宣伝することで多くの顧客を集め、年間の棟数を増やす必要があります。一組の顧客に対して、そんなに時間を掛けられないかもしれません。また効率を優先する会社は、今まで培ってきたものを変えずに、これまでの家造りを踏襲していきます。建て主の要望に対して前例のないことには踏み込まない。こだわって家造りをしたい建て主にとっては、物足りないでしょう。ただ住宅に対するニーズの多様化やこだわりをもつ建て主が多くなってきたことで、建て主のこだわりやデザインを実現したいと、積極的に建築家と組んで仕事をする工務店も増えてきました。

 数年前、オープンハウス等で所長の設計した住宅を見学した工務店の人達から、設計を学びたいという話ありました。それを受けて所長は設計塾をしています。
設計塾の第1回は、敷地を読む≠ナす。設計は、敷地の周辺環境、街並み、風土等を五感で感じることから始まります。そして第2回は平面・断面構成を考える=Bゾーイング、動線、プロポーション等を考えながらプランを練ります。第3回は立面を整える≠ナす。空間構成、仕上げ、ディテール等々を考えます。という具合にカリキュラムを組んで始めた設計塾は、3年目を迎えようとしています。

     
 
 毎回、課題に添って設計をするのですが、最初の頃は、私が言うのもおこがましいのですが、型にはまった何の魅力もないプランでした。所長は、「設計も訓練だよ」って、よく言っています。私も所長のプランを長年見続けて、訓練されてきたのではないかと思うので、敢えて言わせていただきましたが・・・。でも、設計が上手くなりたい、建て主の希望を叶えたいと真面目に取り組み、建物を見学したり、根気強く努力していくことで発想が自由になっていきました。今ではそれぞれの個性も加わり魅力的なプランが提示されるようになっています。


  当たるも八卦、当たらぬも八卦!

 最近、ネット(正確に言えばインターネットの中のコミュニティサイト)で知り合って結婚したという話をちらほら耳にする。そういう出会いは犯罪に巻き込まれるという報道が少くないので、どちらかと言えばマイナスのイメージを持っていた私には驚きだった。当人達はとても仲良く暮らしているから、私が少し懐疑的だったのかもしれない。
そういえば、一昔前は文通で知り合って結婚する人達がいた。身近にも居た。叔母は長年文通を続けた人と結婚して、遠い異国に渡っていった。親戚一同と叔母を見送った横浜港。停泊していた大きな船は、幾重にも重なり合った紙テープを引き摺りながら、汽笛とともに出港していった。その光景は幼かった私の記憶の断片として色濃く刻まれている。

 そんな記憶が影響しているのかは定かではないけれども、私は港町に心惹かれてしまう。神戸や長崎、上海と旅して、その異国情緒に触れた。昨年の春は、横浜を旅した。横浜は近代化された国際都市になってしまったから、あまり異国情緒を感じない。少し物足りなさを感じながらも、赤レンガ倉庫、山下公園と歩いて、中華街まで足を延ばした。以前来たときは感じなかったけど、占いの館が至る所にあって、観光客が列を作っていた。普段ならば気にも留めないところだけど、旅の気楽さから行列の後ろに並んでみた。

 館の中には数人の占い師が机を並べていたので、程なく案内された。ベテランそうな年配の占い師だった。名前と生年月日を聞かれた後、特に何も聞かれないまま手相鑑定が始まった。「う〜ん、長生きするねえ」確かに生命線は長いとは思っていたけど、あまり健康には自信がなかったからホッとした。他にもいろいろ言ってもらったけど、私のことはさておき・・・。次に所長の手相を観るやいなや、「あなたは2足、いやいや、3足の草鞋を履くことになるねぇ」と言う。その時は何も思い当らなかったが、その言葉が意味するであろう出来事が半年後に起こった。

 所長は、日本建築家協会(JIA)に所属している。財政局長を任されてはいたが、まだ加入して数年しかたっていなかった。昨年の秋、次期役員を決める会議に出席して戻ってきた所長が、「次期会長(東海支部静岡地域会会長)になってしまった」と言う。「え〜、なんで・・・」まさに寝耳に水だった。年齢や所属年数を考えると、次期会長に相応しい人は沢山いるだろうに・・・。『あ〜、もしかしたら、このことだったのかなあ』
学生の頃は、生徒会長という立場で執行部を纏めていた。会社勤めをしている時には、役員という立場で会社に関わっていた。独立したら、今度は所属団体の会長だ。所長はそういうポジションにつくづく縁がある人なんだと思った。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。3足目の草鞋はいったい何なのだろう?


  寸法の意義!

 久しぶりに風邪をひいてしまいました。正確には咽頭炎というそうです。数日間、のどの痛みがひかないので注意はしていたのですが、免疫力が低下していたのか、発熱、頭痛、関節の痛みと症状が悪化していきました。この忙しい時期に寝込むわけにはいかないので、早々に病院へ行き診察を受けました。処方薬を飲むとすぐに体が楽になったのですが、それが油断を誘い、翌日から症状がぶり返しました。結局数日間寝込むことに・・・。
弱った体に傾斜の緩い階段はとてもありがたかった。一段一段ゆっくりと階段を下っていくと、二階の床と目線が重なりました。もう一段下がると庭の生垣が目に入りました。一段下がる毎に、彩りを増した紅葉が、青々とした常緑樹が、リビングの窓越しに目に飛び込み、やがて庭の全貌が明らかになりました。「あ〜、緻密な設計だったんだなあ」って、奏庵に住んで10年、ようやく気がつきました。

 所長が敬愛する吉村順三さんも、開口部からの自然の見せ方が巧みでした。「巨匠の残像(日経アーキテクチャア)」の筆者も、『今回、吉村の建築を九つ訪ねた。どれも開口部からの自然の見せ方が印象的で、ときに屋外で見るより美しい。だが、吉村建築に潜む気持ちの良さ≠ヘ、そうしたはっきり目に見える部分だけではなさそうだ。大きさも用途もデザインも異なる建築を巡るうちに、不思議な感覚に気がついた。中に入ってしばらくすると、すっと体に建築がなじんでくるのだ。それは住宅で一層強く感じた』と述べています。そして、『おそらく、図面段階で検討し尽くした結果の、プロポーションの良さなのだろう。ベースには、実測で鍛えた寸法への嗅覚がある』と続けます。空間における開口部(窓)の位置、サイズ、縦横の比率を考えた、吉村さんの緻密な設計が、筆者の感性に響いたのでしょう。

 永田昌民さんの著書の中に寸法についての記述がありました。『サイズとは物の寸法のことで、そこにはタテとヨコの比例などを意味する「プロポーション」の概念も含まれます。家を設計していくうえで、この「サイズ」に対する感覚がとても大切で、建築家の個性のひとつがこのサイズに対するセンスだ、といっていいくらいです。それは結果としてできあがった家を体感してみると実に鮮明にわかることなのです。この場所はとても心地よいなとか、どうもここが少し間が抜けているななど感じられる気持ちの奥には、ものの「サイズ」が起因しているわけです。「大きな暮らしができる小さな家(オーエス出版社)」』

 このように建築において、寸法はとても重要な意味合いを持っています。吉村さんは、『建築家の責任というか仕事といえば、(中略)最後には寸法を決定するというところにあるわけでしょう。「吉村順三のディテール(彰国社)」』と述べています。しかしその理由を言葉で説明することはとても難しい。それは理屈ではなく感性の範疇に属するものだからです。人の感性は様々で一様ではない。たとえば住宅の見学に来て、空間の心地良さを感じられる人もいれば、何も感じない人もいる。何も感じられない人にいくら言葉で説明しても、なかなか理解には至らないものです。
 
 吉村さんの感性を大切にした住宅の教えは、奥村先生や永田さんに受け継がれました。所長は奥村先生や永田さんに幸運にも出会い、吉村さんの教えをその現場を通して学ぶことが出来ました。心地良く、しかも美しくて深みのある空間構築。所長は感性豊かな建て主が居る限り、細かなディテールにまで手を抜かず、設計と向き合っていくことでしょう。


  不思議な縁!

  今年の春、建築家で東京芸術大学名誉教授だった『奥村昭雄さんを思い出す会』が、池袋の自由学園明日館でありました。駅から南に歩いて大通りの信号機を渡り、小道を曲がる人達の流れは同じ目的地を目指しているようで、多くの人達が雨の中を歩いていました。部屋毎に奥村先生のいろいろな側面を切り取った有志による展示がしてありました。旅のスケッチや猫達のこと、コッコチェアーの名前の由来も初めて分かりました。椅子に鳥がとまっていたからというすごく単純な理由だったんですね。別の部屋ではスクリーンに奥村先生の若かりし日の姿が映し出されました。なかなかのイケメンです。その当時に会いたかったなあ。

 奥村さんの訃報を受けたのは昨年の暮れ。ちょうど年賀状の印刷が終わって、ひと息ついた時でした。秋にはゆかりの人達と旅をしたという話を聞いていたので、にわかには信じがたいものでしたが、もしかしたらそれは皆とのお別れだったのかもしれません。特にお通夜もお葬式もしないということでした。なんか奥村さんらしいなって思いました。所長から聞いていた奥村先生は、友人が亡くなってもお葬式に行かない人。だけど奥さんが亡くなると友人が寂しがっているからとお葬式に行くのだそうです。自分の中の価値観で行動する人でした。そしてそれが許される人でした。私たちの結婚式にもわざわざ出席してくれました。窮屈な礼服ではなく、いきなり法被を着て・・・。奥さんのまことさんはもんぺ姿でした。お二人とも世の常識に囚われない似たもの夫婦なんだなあと感じました。抜けている前歯を気にするでもなく、お肉を召し上がっていた(リアルに描写するならば、歯茎で食いちぎっていた)お元気な姿が懐かしく思い出されます。

 所長が奥村先生と出会ったのは、設計という仕事を生業にして数年たった頃でした。初対面で図面を見るなり、「君の図面は綺麗だね」と褒められたそうですが、その頃の所長といえば、
このまま住宅という特定のクライアントだけの小さな仕事だけでいいのか?不特定多数の人間が利用する大きな建築の仕事をしたい≠ニ悩んでいた時期。その悩みを相談すると、
「大きな建築を設計したいと思ったら、きちんと住宅の設計ができるようになることです。何故なら、住宅は建築設計の基本ですから・・・」という言葉を返してくださったそうです。

 建築家の吉村順三さんも、『やっぱり住宅が基本だと思います。(中略)ライトだってミースだって、コルビュジェだって、デュドックだって皆いい住宅を設計しているでしょう。だから先にも申したように、住宅は設計の基本だと思っています』(火と水と木の詩 新潮社)と話しています。所長は吉村さんの建築が好きで、その雑誌をボロボロになるぐらい読んでいました。その吉村さんに師事していたのが奥村さんです。もし奥村先生に出会わなかったら、所長は別の方向に向かっていたかもしれません。奥村先生は、所長を住宅へと導いてくれた恩人です。


  設計の力!

 弊社を訪ねてくる建て主(ご家族)の多くは、真摯に家造りに取り組んでいる人達であるがゆえ、建築会社の対応に不満を感じることもあるようです。ある建て主が、ある会社に要望を伝えたところ、「それは出来ません」という回答だけで、「何故出来ないのか」という説明はなかったそうです。それが法規的な問題なのか、予算の問題なのか、それとも技術的な問題なのかは、担当者に聞いてみなければ分かりません。ただ、一定の制約の中で設計業務が成される会社では、その枠を超えた要望に対しての対応は難しいかもしれません。本来、設計とは自由な発想が大切なのに・・・。所長の設計した家はもっと自由で楽しい。2階から階下へ続く滑り台のある家もあれば、ロッククライミングができる壁がある家もあります。鳥の顔をした外観を持つ家もあれば、ペットと寛ぐ大きな縁側がある家もあります。

 所長が工務店に勤務していた頃は、特にこだわりが強くて設計契約を結んだ建て主以外は、営業社員が聴き取った内容に基づいてプランを作成していました。建て主の要望を深く掘り下げるような設計、そこまでの手間を会社は望んでいなかったのです。家造りに対する設計の比重は、そんなに高くなかったのでしょう。基本的な聞き取りでプランが提示され間取り(平面図)が決まると、自動的に立面図が作成され見積もりまでしてくれる、そんな便利なソフトも開発されています。だから営業社員がプランを作成する会社もあります。だけど家造りってそんなに簡単で良いのでしょうか。

 日本を代表する建築家・吉村順三さんの講演録、「火と水と木の詩」の中で、
『家というものは、とても便利だとか、快適だとかいう以外に、その家の品格が人に与える影響というものはすごく強いものです。建築家というものはそういう責任もあるのだと思います。面白い話しがあるのですが、僕の家内の友達に非常にいい奥さんがいまして、その旦那というのは、その昔は爵位のあるような、なかなか偉い人なんですが、とてもけちん坊でした。僕はその旦那を変えてやろうと思いまして、ある家を造りましたら、その旦那がとても良くなりました。それくらい力があります。それはやっぱりそれまで生活していた家は、普通の建て方でしたが、寸法が悪くて、寒くて、具合が悪い感じで、年中その人達はいらいらしているし、精神の安定なんてものがない訳です。それがだんだん良くなってきて、けちん坊まで直ったという例があります。』と、家の造形(設計)が人間の精神的な面に及ぼす影響を述べています。

 弊社でも精神面を重視し、設計は建て主を理解することから始まります。「雑談の中に設計する上でのヒントが隠されているんだよ」って、所長はよく口にしますが、そんな雑談を交えた打合せは、建て主が気付かなかったような深層心理を導き出すこともあります。私は花を育てたかったんです∞また絵を描いてみたい%凵A新居への夢が膨らんでいきます。所長は設計者であると同時にカウンセラーの役割を担っているようです。U市に住むHさんは、趣味でガラス細工を習っていましたが、ガスバーナーを使用するので周囲が汚れてしまう事を気に掛けていました。そこで部屋の一角に専用の作業コーナーを設けることにしました。Hさんは新居に移ってからメキメキと腕を上げ、今ではお店に出店する程の腕前です。時々、ブログを拝見すると素敵なガラス細工の写真が公開されています。絵を描き始めたOさんは、家中にその絵手紙を飾っています。外出することのなかったご夫婦は、美術館巡りを始めました。新居に引っ越した人達が楽しく充実した日々を送っている、それはなんとも嬉しいものです。
 

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村松篤設計事務所

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